勝っても、負けても、反省がある

(今日のコトバ)

 

聞く耳は、勝利の時に、耳をふさぐ。

 

 

小池・都民ファーストの会が圧勝だった。

小池以前の都政批判で、ただでさえも

有利に働くと思われた選挙。

その上に、自民党の自爆ともいうべき失態の数々。

都民の想像以上に小池圧勝、自民歴史的敗北となった。

その記者会見を見て思っことがある。

負けたものは、反省を始めると。

自民党のある幹部が「この結果を厳粛に受け止め、

しっかり分析して、自民党を立て直したい」と発言した。

そうとしか発言できないのかもしれないが、

その言葉にそれほど嘘はなく、

これからいろいろな分析・反省をはじめるだろう。

きっと、何年後に行われる次回選挙で、

反省を生かし、都議会議員の人数を増やしてくるはずだ。

かたや、圧勝の小泉・都民ファーストの会は、

選挙に勝ったものの、小泉百合子以外、

まともな公約すらできない素人も多々見受けられた。

人は成長する生きものだから、

これから勉強して、いい政治家になるかもしれない。

だが、これからでいいのかという疑問があるのと、

それ以上に思うのが、勝ったままで政治家の使命を

終わってしまうのではないかということ。

自民の若手議員のように、

スキャンダルまみれの人物が、

これでもかこれでもかと出てくる。

普通、議員になったのだから政治に邁進し、

日本を良くしようという気持ちで

あふれていてあたりまえだと思うのだが、

当選を果たしたところが頂点で胡坐をかきはじめる。

胡坐どころか堕落もはじまる。

少し長めに政治を引き合いに出したが、

人の気持ちも似たところがある。

勝ってしまうと、勝ってしまったのだから、

反省などしない。

しかも、いろいろな声にも、口あたりのいい声しか

耳に入れず、厳しいことをいう人の声を排除することもある。

気持ちはわかるが、

その勝ったことによるおごりが、

自分に起こることを忘れてはいけない。

おごってしまうと、取り返しのつかないミスをする。

勝っても反省もあれば、精進するべきこともあるはずだ。

そのことを肝に銘じなければならない。

そして、昨日、将棋界で連勝記録が途絶えた藤井君こそ、

プレッシャーから解放されて、

さらに反省の気持ちを持つだろう。

この敗北は、きっと、彼をもっと巨大な怪物にするだろう。

大切なのは、勝っても、負けても、

反省の気持ちをもって全身すること。

そこに人としての進化の秘訣があるのだ。