チャンスは現場にある

 

 

(今日のコトバ)

 

そこにいることが、最大の好機だ。

 

 

 

 

「事件は現場で起こっている」ではないが、

何かが起こっているその現場にいることが、

人生にとって大きなポイントになることは

間違いない。

もっというと、現場にいることこそが

人生のチャンスであるといっても過言ではない。

現場にいれば、目撃者になれるし、

当事者になる可能性もある。

いち早く出来事を把握し、

自分の力で解決することもできる。

考え方によっては、

自分のいいように持っていくこともできる。

もちろん、判断を仰ぐことも必要だし、

自分のいいように

処理できることばかりではない。

ただ、現場にいれば、

自分の判断でコントロールできる要素が増える。

そこにチャンスが生まれるのだ。

「人生にチャンスが落ちていない」

という人がいる。

もし、自分もそう思うのだったら、

現場にいく、現場に足を運ぶことを意識しよう。

それだけでチャンスの可能性は広がる。

現場で生きることが大切なのだ。

人は比較する生き物

 

 

(今日のコトバ)

 

ひがんでいると、心がかけていく。

 

 

人は、比較する生き物である。

自分と誰かを比較する。

自分より才能がある。

自分より運動神経が優れている。

自分より出世している。

自分より幸せである、、、、、。

とにかく、どこかで比較する。

そして、自分が負けているものを

負けないようにするために、

自分が足りないものを埋めるために、

日々、努力する。

その場合は、健全な進化につながっていく。

だが、こういう場合もある。

自分以外の誰かの方が優れている。

その状況をひがむ。足を引っ張る。

負け組で連帯して、いじめてみたりする。

比較することによって、

自分の心の闇からわるい手が伸びていく。

誰にでも心のどこかにあるはずだ。

自分でも好きになれない自分。

すべて払拭することはできないにしても、

負けているからといって、

ひがんでばかりいると、

自分の心がおかくなる。

悪意に満ち始めることもあるし、

壊れていくこともある。

だからこそ、

誰かと比較するなら、

自分の足りないものを補う方向へ

心をシフトしよう。

人生、ひがんだり、うらんたりしても、

時間は過ぎていく。

ひがんだり、うらんだりする時間は、

決して楽しいものではない。

不快感も残る。

そんな時間を少しでも減らすために、

自分の成長の時間に変える。

比較して自分が足りないものがわかったら、

そこに伸びしろがある。

そう思えば、

もっと自分が進化できる。

自分が進化できれば、

もっと面白い人生になる。

人生、面白い方がいいじゃないか。

分かち合うから楽しい

 

 

(今日のコトバ)

 

一人でドラマチックはつくれない。

 

 

 

例えば、勝利して。

例えば、合格して。

例えば、成功して。

自分の出来事の中で

感動的な状況になった時、

誰も一緒に喜んでくれない。

あるいは、騒いでくれる人が

誰もいないと、どうだろう。

嬉しさが半減するだろうし、

何か想像したものと違うと思うだろう。

もっといえば、何のために頑張ったのかと、

そもそもの自分の頑張りにも疑問がわく。

人生の感動的な状況では、

まわりの人を巻き込んでいる場合が多いから、

嬉しさをまったく分かち合えないことは、

少ないかもしれない。

ただ、自分の感動的な場面で、

まわりが冷めていることは時々ある。

その時のつまらなさといったら、

これほどつまらないこともない。

つまり、どんなドラマチックな状況でも、

どんな感動的な状況でも、

自分一人では喜べない。

そう思うと、一人で何もかもやったと

手柄独り占めすると、

必ずまわりの人はしらけていく。

もちろん、働きが自分より

良くない人もいるかもしれないが、

それでも、つねに手柄を分かち合うことを

意識して生きる方が、

達成した時、大きな喜びになるし、

その後、モチベーションにもなる。

ドラマチックは、

感動は分かち合ってこそ大きくなる。

そこに生きる楽しさの醍醐味がある。

忘れてはいけないことだ。

 

 

行動がアイコンになる

 

(今日のコトバ)

 

存在証明をしていなければ、

存在感のない人間になってしまう。

 

 

 

人は、人を何で認識するのだろう。

それは、行動を認識して、

頭に人をイメージする。

何もせず、大人しくしていると、

認識することはできない。

もちろん、個性的で認識しやすい人もいる。

そんな人も行動しなければ、

だんだん存在感の薄い人になってしまう。

存在を知られたくない人は、

それでもいいだろう。

ただ、存在を認識されたい人は、

行動することが一番だ。

何かをやっていることは、

認識されるアイコンになる。

「あなたのことは誰かが見ている」

「みんなあなたの努力は知っている」

そういわれるのは、

その人の行動を見ているからだ。

もし、いま、自分に存在感が足らないと思ったら、

行動をどんどんし続けよう。

人は、その行動を見てあなたを理解をする。

そして、行動で判断されるあなたは、

ほぼあなたの人柄に近いものになる。

行動は、あなたをわかりやすく

表現しているのだ。

 

良くなる方へ人生をシフト

 

(今日のコトバ)

 

振り返ってばかりいるのは、

いまがときめいていないからだ。

 

 

 

過去の話ばかりする時がある。

「あの時は良かった」

そういいながら振り返って、

少しだけ納得する。

自分においても、まわりの人においても、

見受けられる光景だ。

ただ、過去の話が多い人は、

必ずといっていいほど、

いまの状況が停滞している。

「あの時は良かったけど、いまは・・・?」という

気持ちでいる。

現状がわるくて、もしくは、いけてないと思っていて、

昔話をしている。

傾向でいうと、間違いなくその状況は、昔ほど良くないのだ。

そう考えると、

この言葉を発する時は、

いまの状況が良くないという判断もできる。

「あの日、あの時、が最高」といいだしたら、

いまの人生のどこかに問題がある。

修正するのか、違う何かをするのか、

もっと歩みを進めるのか。

なんとなく良くないのではなく、

わかりやすく問題があると考えていい。

その問題を解決するべきアクションを起こす。

人生は、いい時もあれば、わるい時もある。

様々な状況を自分の能力で乗り切っていく。

良くないという状況がはっきりすれば、

良くする方へ舵をきればいい。

生きてきた中で解決法は山ほどある。

人生をもう一度、見直してみる。

そして、良くなる方へ生き方をシフトするのだ。

気持ちの射程距離

 

 

(今日のコトバ)

現実というボディブローに打たれながら、

夢というカウンターパンチを狙っている。

人はみな魂の拳をもった挑戦者なのだ。

 

 

 

人は誰でも、

逆転の一撃を狙っている。

大きな逆転、小さな逆転にかかわらず、

一発逆転を狙っているはずだ。

勝負の世界ではわかりやすい。

王者以外はすべて、逆転のチャンスをうかがっている。

それ以外に、会社でも、学校でも、どんな世の中の組織でも、

上へいけば、様々な利益があると思えば、

上へいくための一撃を考えていて不思議ではない。

もちろん、本来、争うことが嫌いで、

上を目指すことを好まない人もいるだろう。

そんな争いが嫌いな人でも、

自分のペースを乱されると

異様に抵抗することもある。

それも逆転ではないが、

自分の意志を貫くための一撃だったりする。

そう考えると、

人は誰でも、自分の意志を通すための

魂の拳をもっている。

そして、何か自分の気持ちの射程距離に入ると、

そこから魂の一撃を繰り出す。

言葉にすると、サバイバルかもしれない。

その気持ちをもっているからこそ、

人間は進化していく。

誰でももっている魂の拳。

その一撃を繰り出すために、

日々、切磋琢磨し、

人生を自分のより良いものにする。

つねに挑戦者の気持ちでいるのが人間なのだ。

 

自分を信じる自分

 

 

(今日のコトバ)

 

どこまで自分を信じきれるのか。

信じきれた者だけが勝ち残る。

 

 

 

自分を信じる。

言葉にすると簡単だ。

自分を信じる。

普通に生きていても、

できているように思う。

ある程度は、できているのかもしれない。

ただ、人生が苦しくなった時、

それでも、自分を信じていられるか。

問題は、そこにあると思う。

人生が苦しくなると、あきらめてしまう、

逃げ出してしまう、避けてしまう等、

正面で受け止めて挑もうとはしなくなる。

その時、あきらめる、逃げる、避けるということが、

自分を信じている行動かと自問してしまう。

その結果、自分はダメだと思ってしまうこともある。

そう思わないためには、

自分を信じる自分をつくらなくてはならない。

自分を信じる自分とは、

人生の課題に何事もあきらめずに、

取り組む自分になること。

あきらめないで取り組んだ力は、

自分自身に大きな力をつけていく。

それは、最終的に自分を信じるという力に集積される。

集積された力は、自分を信じるという気持ちに変わる。

いま、自分を信じることができていないと

思っている人は、

あきめることが多い人生だからだと思う。

その人は、少しずつでいい。

今日からでいい。

あきらないで物事に取り組んでみる。

そこ行動から、

自分を信じる力を身に着けることができる。

一つ一つ、あきめな行動を続けてみよう。

 

 

傷から学ぶ

 

(今日のコトバ)

 

深い傷になる前に、

かすり傷のうちに気づくのが、

大人になるということ。

 

 

 

 

人は傷つきながら成長していく。

転んだり、擦りむいたり、倒れたり、ぶつかったり、、、、。

痛い思いをしながら、なんとか立ち直り、

以前より、少しだけ強くなって生きていく。

傷は、経験として体が覚えている。

だから、大人になれば、

かすり傷のうちに傷を治し、

深い傷にしないように生きる術を持つ。

大きく痛まないように、

逃げたり、避けたり。

転ぶまえに手すりにつかまったり、

経験という膨大なデータから、

自分の身を守るデータを取り出して傷を浅くする。

それが大人になること。

ほんとうは子供のままで、

成長しない部分もたくさんある。

ただ、傷を負ったところから人は、

傷を負わない対処方法を学ぶ

そのことを忘れてはいけない。

 

 

人生の骨格は人間関係で築かれる

(今日のコトバ)

 

後ろめたさが前向きの足を引っ張る。

 

 

 

何か後ろめたいことを人にする。

嘘をつく。ダマす。裏切る等。

そんな気持ちがある時に、

その人と前向きに行動することはできない。

相手を嫌な気持ちで意識し、

相手に嫌な気持ちで気を使う。

結果、前進するというよりは、

停滞か、後退にしかならない。

どう気持ちを隠しても、

前へ進むということはできなくなる。

後ろめたさは、人間関係を減速する。

だとしたら、人間関係を円滑にするために、

後ろめたさをなくせばいい。

簡単にいえば、嘘なく、ダマすことなく、

裏切ることなく、借金をすることなく関係を築く。

このうち一つでも崩れると、

少しずつ人間関係も崩れて、

憎しみ合う関係にもなりかねない。

人生の骨格は人間関係で築いていく。

そこにひびが入れば、

やがて骨格は崩れる。

そのことを忘れてはいけない。

小さな夢を大きな夢に

 

(今日のコトバ)

 

重すぎた夢に押しつぶされるぐらいなら、

軽くできた夢を膨らまそう。

 

 

 

大きな夢を持つことは大切なことだ。

自分を最高の状態にして挑んでいく。

うまく前進していければ、

素晴らしい人生になる。

だが、あまりに夢が大きすぎて、

夢に近づけない状態にいると、

夢をあきらめてしまうこともある。

近づいているからこそ、

叶えられると思うからこそ、

夢に向かっていける。

停滞する時間が長ければ長いほど、

あきらめる可能性が高くなってしまう。

そう考えると、夢を小さいところから

叶えていくという方法もある。

すぐにでも手にできそうな夢を、

着実に叶えていく。

進化していることを確認しながら

ステップアップしていく。

小さい夢を叶えたはずが、

だんだん大きな夢に近づいていく。

そんな状況になれば、理想的だ。

人生は、夢にリードされて

自分を進化させていく。

小さな夢を大きな夢に育てるのも、

自分を進化させていく方法だ。