長く続けているものは武器になる

 

(今日のコトバ)

 

継続は、人生の幹を太くする。

 

 

 

「若い頃、何で辞めてしまったんだろう」

そう思うことがよくある。

書道、ピアノ、剣道、水泳等々。

きっと、その時は、遊びたかったり、

もっと、おもしろいことがあったりで、

習得する時間が

苦痛だったのかもしれない。

もっというと、

それらの習い事を極めれば、

凄い財産になることを

知らなかったのかもしれない。

ささいな事でいえば、

向いていなかったかもしれない。

いずれの理由にせよ、

長く続けずに辞めてしまった。

どれも人生の武器というまで

磨くことはできなかった。

だが、年を重ねてみると、

「やっておけばよかった」というものが

たくさんある。

長く続けて芸にできれば、

人生の様々な場面で身を助けてくれる。

そう思うと、長く続けたものは、

人生の武器になることが多い。

だからこそ、

長く続けているものは大切にする。

長く続けているものは、

人生に武器になるのだから。

 

理想的な味方

 

(今日のコトバ)

 

知らん顔しながら、

そっと手を伸ばしてくれる人を、

味方にしたいと思う。

 

 

 

 

味方って、何だろう。

時々、考える。

自分を守ってくれる人?

そうかもしれない。

困った時に武器を貸してくれる人?

そうかもしれない。

敵に向かって一緒に戦ってくれる人?

そうかもしれない。

ただ、平時に味方ということをを

鮮明に現わして、

まわりで騒がれるのは、

ちょっと引く。

かといって、

敵か味方かわからない態度でいる人も

判断に困る。

理想をいえば、

ある程度の距離を置きながら、

ここぞという時にだけ

手を差し伸べてくれる人こそ、

本当の味方だと思える。

そういった味方がいる人、

いない人、いるだろう。

ただ、人生の荒波を越えていくには、

味方が絶対に必要。

その時、

理想的に自分の味方になってくれる人が

いることは、人生の成功にも結び付く。

だからこそ、自分の理想の味方をつくる。

大切なことだと思う。

明日への先延ばしをやめよう

 

(今日のコトバ)

 

「あした、やろう」は、

未来に一つ荷物をふやしている。

 

 

 

今日怠けてしまった。

面倒臭いことは明日にしよう。

時に、そんな気持ちになることがある。

人によっては、

いつもいつもそう思うこともあるだろう。

ただ、明日に今日の作業を先延ばしすると、

明日の作業がその分多くなる。

もっというと、

明日できる作業が少なくなる。

その後も、

じょじょに一日の作業が少なくなり、

怠けた一日になっていく。

その一日をどう考えるか?

怠けてよしとするなら仕方ない。

カラダの調子がよくなくて、

ペースを落とすこともあるだろう。

ただ、もっと時間を有効活用したいと

思っている人にとっては、

明日への先延ばしが、

積もり積もって怠慢のサイクルになる。

もし、いま、時間をもっと有効に

活用したいと思っているなら、

明日への先延ばし禁止からはじめよう。

明日を有効に使うために、

今日できることを今日やってしまう。

そこが時間を有効に使う第一歩だ。

人柄の信頼

 

(今日のコトバ)

 

人柄の先に、手柄がある。

 

 

 

すべては人柄にある。

そんな気がする。

どんなに才能があっても、

どんなに努力をしても、

望んだものが

手に入れられない人がいる。

だが、人柄の素晴らしい人は、

幸運を引き寄せてしまう。

「人から嫌われない、つまり、

愛される」という人柄は、

まわりの人から、

いいものを届けられる。

「いい人だから、お願いしよう」となる。

「きっと、しっかり

やってくれるから頼もう」となる。

いい依頼が循環するのだ。

もちろん、

面倒くさいものを押し付けてしまう人も

いるかもしれないが、

その場合、押し付けた人に

問題があるとわかってしまう。

日々の人柄の信頼があるから、

変なものを押し付けると、

押し付けた人の問題になるのだ。

そう思うと、

人柄で信頼を得ることが、

どれだけ大切かがわかる。

そのことを忘れてはいけない。

 

影響を受ける環境へ

 

(今日のコトバ)

 

影響は、発想の燃料庫である。

 

 

 

「発想は、記憶だ」と

ある映画監督がいった。

確かに、発想する時、

自分の頭にないものが

出てくるとは思わない。

ヒラメキ的な部分もあるので、

すべてが記憶ではないが、

それでも記憶の部分が多い。

では、記憶とは何か。

それは、生きている中で受けた

影響ではないだろうか。

人からでも、書物からでも、

テレビからでも、

生きている時間に

自分がかかわったもので

どう自分が反応したか。

その反応のひとつが発想となる。

となると、

どんどん影響を受ける環境に身を置く、

どんどん出会う、

どんどんでかけることが大切。

著名なアーティストやクリエーターも、

影響を受信できる環境に敏感だ。

面白いものには、すぐに飛びつく人が多い。

そう思うと、

影響されるところに

自ら飛びこむことは、

豊かな発想の礎になる。

もし、発想こ豊かな人生にしたかったら、

影響を受ける環境へ飛びこむ。

大切なことだ。

目標、達成、そして、称賛

 

(今日のコトバ)

 

行きたかった未来が今日なんだ。

そして、この先、

行きたい未来があることを幸せという。

 

 

 

今日起こることにワクワクしている。

今日という日が楽しい。

今日生きていることが有難いと思う。

そういう気持ちになれれば、

人生はうまくいっている。

さらに、

この先にワクワクするような

目標があれば、

人生は最高といっていい。

誰と比較するのでもなく、

今日が、未来が、

ワクワクする状況にあるなら、

生きてきた人生は

間違っていない。

どうせ生きるなら、

できるだけ

そんな状況の人生を送りたい。

少なくとも、

生きるどこかに

ワクワクする部分を

もちたいものだ。

それには、目標を叶える、

叶えた後にご褒美をもらう、

簡単だけど、目標に向かって走り、

叶えたら称賛される

サイクルがあるといい。

それが、いきがいにもつながる。

素晴らしい人生を生む。

今日、そして、未来が幸せになるために、

目標、達成、そして、称賛が大切なのだ。

春は人生をはじめやすい

 

(今日のコトバ)

 

春になったんだ、

人生がもう一度はじまるんだ。

 

 

 

 

入社式があり、

入学式があり、

新学期もはじまろうとしている。

春。四月。

この季節、

日本は、社会全体がリセットされる。

新人という人種がたくさん生まれ、

新鮮な人々が増える。

人生という歴史も、

毎年、春、四月から

スタートさせることが多い。

そう思うと、

春は人生をはじめやすい時期と

いっていい。

はじめる条件は揃っている。

何かをはじめたいなら、

春から。四月から。

そして、自分の気持ちも

一新してのぞむ。

春には、

人を新しくする力があるのだ。

 

握手は未来をつなげる

 

(今日のコトバ)

 

握手したその手は、

未来の扉をつかんでいるんだ。

 

 

 

 

握手は、相手の手を握ること。

ただ手をつかんでいるだけかもしれない。

ただ挨拶しているだけかもしれない。

だが、握手は自分を未来につなげる

一つのアクション。

考えてみればわかる。

特に選挙などの候補者は

やたらと握手したがる。

握手されるとされた方は、

嫌な気がしなくなる。

何も知らなくても

投票しようかと思ったりする。

アイドルが握手するのもそう。

握手した方は、

これからも

自分のファンでいてもらうための

絆になるし、

握手された方も、

アイドルと自分がつながったと

思ったりする。

何か仕事がうまくいった時も、

思わず握手したりする。

つまり、未来の絆ができる時、

握手というアクションが起こる。

たかが握手。されど握手。

この手と手を握るコミュニケーションが

未来の懸け橋になる。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

人生にある非公式の世界一

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

公式に記録されない世界一が

たくさんつくられる。

 

 

 

 

 

自分史、あるいは家族の記録の中に、

途轍もない記録となるものがある。

例えば、出産だって、

世界に唯一無二の人間を産む。

そして、その育てる行程だって、

世界で一つしかないオリジナルの育成法だ。

また、ある試合がある。

その試合は大会の3回戦かもしれない、

負けたかもしれないが、

そこへ行くまでの努力は

世界一の努力をしているかもしれない。

少なくても、

自分では最高の力を発揮した。

少し振り返るだけでも、

自分新記録はいくらでも思いつく。

そして、その記録は

非公式だが世界新記録といっていい。

何かに向けて全力で頑張ったなら、

世の中がどう思おうと新記録。

そのことに対して、

自信をねもっていいし、

誇りをもっていい。

誰の人生も唯一無二だから、

そこで最高に頑張ったら、

誰にも負けない歴史になる。

そう思って生きていっていいと思う。

すべて大人に染まる必要はない

 

(今日のコトバ)

 

仕事の顔をして、

大人の階段をのぼっても、

少年の心を忘れてはいけない。

 

 

 

年をとって就職して、

いやがおうでも社会の洗礼を浴びて、

大人になっていく。

だが、社会の通過儀礼として

大人になっても、

心技体のすべてが

大人になるわけではない。

なかなかならないものもある。

もっというと、

大人になっては

いけないものもある。

社会に流されて

大人の仮面をかぶってしまうと、

忖度のようなことを覚え、

わるいことも、

上の指示でやってしまうことになる。

社会には、正しいか正しくないかではなく、

上の者に従うという、

それこそ大人のルールが存在する。

そのルールと戦わなくては、

正しい自分が維持できない。

ピュアな気持ちで生きていけない。

ただ、正しいことは、正しいのだ。

なにもかも四角四面に

正しさを追求しろというわけではない。

だが、

どうしても許してはいけないことは、

許してはいけない。

そのことを忘れずに生きていきたいものだ。