痛みが過ぎれば勲章になる

 

(今日のコトバ)

 

傷は、サバイバルに成功したサイン。

 

 

 

人は、傷を負っている。

心に、体に、

大きな傷、小さな傷を負っている。

その傷は、切れた時は、

痛みもあって辛いが、

時間が経つにつれて、

痛みは忘れるもの。そして、

傷跡だけがその時の辛い出来事を

想い出す跡になる。

もっといえば、

傷は、人生の危機を乗り切った証。

勲章と呼んでもいい。

そして、その一つ一つが

人生のサバイバルに成功した

サインといってもいい。

だからこそ、傷を負っていることに

胸をはっていい。

痛みが過ぎれば勲章になる。

それが傷なのだ。

明日に頼っていい

 

(今日のコトバ)

 

明日は、昨日の失敗も、今日の希望も、

みんなまとめて、

なんとかしようとしてくれる。

 

 

 

「昨日、うまくいかなかった」

「今日、こんなことを思いついた」

そんなことがあっても、

人生、今日までの時間は、

使われてしまっている。

残るは何か?

それは、明日という未来に他ならない。

明快なビジョンがあっても、

不確実な予測しか立たなくても、

何も考えてなくても、

明日はやってくる。

その明日には、いろいろな解決策がある。

まず時間。この先、

戦略的に時間割をつくって

使うことができるる

次に知恵。これまでの経験値が

明日がいちばんある。

今日までの財産を

明日使うことができる。

そして時代。明日は今日までなかった

新しい技術が待っている。

そう思うと、

人生いろいろな課題を

かかえていても、

明日があれば、なんとかなる。

だから、もっと明日に頼っていい。

少なくても気持ちは、

明日があると強がっていいのだ。

 

好きになってから判断する

 

(今日のコトバ)

 

愛してみてから、答えを出そう。

それからでも遅くない。

 

 

 

一瞬で好きになる。

とても深く愛するようになる。

好きなるのに

理由のないこともあるから、

時にそんなこともある。

その中で人間の場合、

一瞬で好きになることもあれば、

一瞬で嫌いになることもある。

ただ、もったいないのは、

一瞬で嫌いになった時、

その感情のまま距離を

置いてしまうと、

それきり関係が終わってしまう。

だが、嫌いという感情は

時間が経つにつれて、

好きという感情に変わることもある。

また、世の中は面倒くさい。

嫌いな人とも

付き合っていかなくてはならない。

その時、

いいところを見つけていくと、

だんだん好きになることもある。

その人の良さがわかるまで

時間がかかることもあるのだ。

だから、人との関係をつくる時、

好きになる、愛してみることを

意識する。

関係を考えるのはその後でいい。

好きになれる人は、

案外多いはずだ。

 

不満は改善のサイン

 

(今日のコトバ)

 

不満を吐き出すということは、

幸せのスネをかじること。

 

 

 

 

人は、人生の節目節目で不満を

吐き出す。

「アイツはダメだ」

「結果が出ないのはアイツのせいだ」

「この体制がわるい」

「こんな状況にしたヤツがわるい」等々。

ただ、不満をいっているうちは、

まだ、本当の危険水域まで達していない。

本当に危なくなったら、

悲鳴が上がり、不満等いえなくなる。

つまり、不満をいっているうちは、

まだまだ改善の余地があるということ。

その余地があるうちに改善できるなら、

絶対に改善した方がいい。

それ以上悪化させると、

取り返しのつかないことに

なることもある。

重症になってしまうこともあるのだ。

だから、不満や文句が出たら、

まだ改善できると思って、

解決へ舵を切る。

そのことを意識しただけで、

人生を大きくリスクヘッジできる。

痛い思いをだいぶ避けて通れるはずだ。

 

今日点検すること

 

(今日のコトバ)

 

今日までの知識と、明日への勇気を交換しよう。

 

 

 

 

生きてきた。

何十年と生きてきた。

強いか、弱いか、わからないが、

それなりの生き抜く力を持っている。

大丈夫だ。

生き抜いていける。

ただ、その時、必要なものがある。

それは、勇気。

未来をつかむ意志を行動にうつす力。

今日までの財産と

明日への勇気があれば、

生き続けるための機能は

装備されている。

成功しようが失敗しようが、

勝とうが負けようが、

苦しかろうが楽しかろうが、

生き続けることはできる。

そのために今日までの財産と、

明日への勇気があるかを

ちゃんと確認する。

今日点検すべきことだ。

 

 

 

 

ハンディキャップから生まれる力

 

(今日のコトバ)

 

スタートラインを

人より後方にされたから、

ゴールした時、最速のランナーになった。

 

 

差別はない方がいい。

人権では絶対に

守られなければならない。

ただ、まわりを見まわすと、

まったく差別がないという環境はない。

生まれの違いがあって、

金持ち貧乏の格差があって、

身体の差も人の数だけある。

その中で、競争しながら、

人は自分を成長させていく。

だが、この差別を意識した瞬間、

猛然と自分の力を発揮する人がいる。

逆境といえる状況だからこそ、

自分の実力以上のものを発揮する。

特に、立志伝中の人間は、

ほとんど差別との戦いを

越えてきている。

もちろん、立志伝だから、

多少、おおげさな状況設定を

しているかもしれないが、

それでも普通より

ハンディキャップがあったのは

確かのような気がする。

そして、

ハンディキャップのある環境で

生きたことが、強いバネになり、

身に降りかかる困難を越えてしまう。

「普通の人と

同じスタートラインでなかった」

「圧倒的、後方のスタートだった」

「障害物もたくさん用意されていた」

「のり越えるために

しんどい思いをしてきたが、

結局、そのしんどい思いが、

実力をつけるのに

大きく役立った」

そう思うと、

ハンディキャップは、

人に大きな力を与えてくれる。

困難にのり越える力を

与えてくれる。

自分が進化するには、

ハンディキャップも

大きな力になっているのだ。

誠意に差はない

 

(今日のコトバ)

 

誠意に上手下手はない。

 

 

 

自分の真心を伝える。

本心で物事にあたる。

言葉にすると、誠意。

その気持ちに上手下手はない。

一生懸命やることで、

相手に思いを伝える。

どんなにかっこわるくても、

どんなに不器用でも、

一生懸命の思いは伝わる。

もちろん、個人差はあるだろう。

ただ、思いを伝えようという熱意は、

差がなく伝わるはずだ。

だとすれば、何か物事に挑戦する時、

自分の力が未熟であればあるほど、

誠意を伝えることが大切。

自分の気持ちが、

最大限に伝えるための誠意。

弱者の戦い方の一つだ。

 

提案は現場でする

 

(今日のコトバ)

 

グラウンドでの提案は戦術。

スタンドでの提案は野次。

 

 

 

 

「外野は黙ってろ!」と

いわれることがある。

責任者でもなく、

関係者でもない人間が、

外から、

偉そうにアレコレいわれると

腹が立つ。

現場の状況をわかっていない人間は、

好き勝手にいいたいことがいえる。

現場にいる人間は、

そこでしかわからない問題を

なんとか解決しながら

前へ進んでいる。

表面上のことだけで、

ツベコベいってほしくない。

特に、仕事関係で

あきらかに

自分のテリトリーでない時、

口をはさむことは、

できるだけ避けた方がいい。

もちろん、

いいアドバイスになることもあるが、

現場に意見を聞かれていない限りは、

中傷誹謗、

あるいは野次になってしまう。

意見をいう時、提案をする時は、

大前提として、現場の人間であること。

その意識を

忘れてはいけないと思う。

出会いは奇跡になる

 

(今日のコトバ)

 

出会うことは、奇跡。

会うことだけでも、ちょっと奇跡。

人は、人と出会うことから奇跡を起こす。

 

 

 

 

奇跡なんて、

そんなに起こらないと思っていたけど、

年齢を重ねるごとに考えが変わった。

奇跡は、頻繁に起こる。

出会いが奇跡だと思うと、

奇跡は頻繁に起こる。

そして、

人生で起こる

ほぼすべての奇跡のきっかけが、

出会いからはじまるといっていい。

その出会いがなければ、

何も起こらない。

出会いがあったからこそ、

いまのこの人生がある。

そう思うと、

ひとつひとつの出会いが愛しくなる。

ただあいさつだけの

出会いもあるけれど、

その後の人生を考えると、

ただのあいさつだけでは

ないような気もしてくる。

人生には、

ステキな出来事がたくさんある。

奇跡はその中でも、

もっともステキなことのひとつ。

奇跡と思える出会いを大切にしたい。

 

損は損で終わらない

 

(今日のコトバ)

 

損は、得をするための高等戦術である。

 

 

 

思うことがある。

損をする人は、

必ずどこかで得をする、と。

「損して得とれ」という言葉があるが、

漠然とだが損をすると、

後で得をする。

「人生はイーブン」という人もいるが、

たしかに損得だけで考えると、

そうかもしれないと思う。

さらに踏みこむと、

博打とかではなく、

仕事とか、人のためになることで、

損を引き受けると、

必ずといっていいほど、

その後、いいことが起こっている。

反対に、得することばかりに動いている人は、

どこかでまとめて損をしている。

つまり人生は、

損が損で終わらない。

その損が、

世のため、人のためになることなら、

人生にポイントが加算される。

それをどこかで還元できる時がくる。

そのことを忘れないで生きると

人生はおもしいものになると思う。