時間を生きて、時間を生かせ

 

(今日のコトバ)

 

時間を追いかけろ。

そして時間いっぱい生き抜け。

自分に翼があることがわかるはずだ。

 

 

 

世の中で人は、

ほぼ時間制限の中で

生きている。

どんなに素晴らしいことでも、

時間が過ぎてしまえば、

何の価値もなくなることさえある。

ただ流れていく時間。

されど生きている時間。

その時間をどう生きるかで、

人生は決まってしまう。

だとすれば、

時間を上手使う、

時間を精一杯生きることを

自分の目標にする。

全力を尽くして時間を使えば、

結果のアベレージも高くなる。

時間を意識するかしないかで、

長い人生の間に

相当の差がついてくる。

時間を味方にするぐらいの気持ちで、

時間を操る。

そこまでいければ、

生きることがもっと

楽しくなるはずだ。

 

遅刻常習犯は、もったいない

 

(今日のコトバ)

 

間に合わないというだけで、

人生の半分のチャンスは逃げていく。

 

 

 

時間に遅れる。

常習犯で遅れる人がいる。

性分なのかもしれない。

「いつも、アイツは遅れる、、、」

といわれてしまう。

仕方ないとまわりが認めてしまう人もいる。

「仕方ない」

そうかもしれない。

ただ、こうもいえる。

もったいない、とも。

遅れてしまうことで、

人生のチャンスを逃している

もったいなさがある。

時間に遅れたから、

参加資格が無くなる。

着くのが遅れたから、

先着にもれた。

いつも遅れてくるので、

話はしない、、、、、。

そして、遅刻常習犯になると、

相談しないし、信頼もしなくなる。

この相談しないし、

信頼しないというところに、

チャンスを失う原因がある。

反対にいえば、時間通りに

遅れずその場にいるたけで、

チャンスを手にできる機会に

圧倒的に恵まれる。

生きていれば、

そのことをみな理解しているはずだ。

それでも時間に遅れてしまうのは、

チャンスを無駄にしているに他ならない。

もし、チャンスを失うのを、

もったいないと思ったら、

時間に遅れることをしない努力を

すればいい。

それだけで、

チャンスに恵まれる回数は

劇的に増える。

まったく違う風景の人生に出会えるはずだ。

 

 

いけてないと、昔話が増えてくる

 

(今日のコトバ)

 

昔話に花咲くころ、

才能は枯れ葉になる。

 

 

 

想い出をめぐる会話は楽しい。

昔の武勇伝を含め、

自分の、自分達の歴史を語る。

同窓会などはその最たるもの。

「昔は、凄かった」

「昔は、こんなものじゃなかった」

「昔は、良かった」等。

だが、この昔話ばかりになっている自分は

なんだろうと思う。

昔を振り返ってばかりいるということは、

いま、そして、未来の話が

できないのではないか。

そう思ってしまう。

年をとれば、

昔話が増えるのは仕方ない。

ただ、もし、

現役でバリバリの状況なのに、

昔話しかできない時は、

自分があまりいけてないと思っていい。

振り返るのは、

いまと未来に話題がない。

現状が停滞している証明。

何かの目標を見つけて動きだすべき時で

あることを意識しよう。

 

 

一日には価値がある

 

(今日のコトバ)

 

昨日知らなかった道を

今日歩くことで、

昨日より今日は

少しだけ強くなっている。

 

 

 

今日は昨日より一日だけど、

長く生きた。

たった一日だけど、

新しい経験をしている。

この一日が人生にとっては大きい。

例えば、ビッグイベントが今日ある人は、

イベントが終わった時、

充実感と共に大きなキャリアを積む。

人生の財産が増える。

成長を感じることができるかもしれない。

もちろん、昨日と同じの普通の時間が

流れていくだけのこともある。

ただ、それでも一日24時間生き抜いた。

その価値は大きい。

ハンディキャップを負えば、

なおさら一日の価値を感じる。

一日の価値。

一日を生きること。

少し意識してみると、

一日の、そして、自分の価値に

気づくはず。

その価値を感じながら

生きることも自分にとって

大きい財産になるのだ。

席は実力の証明

 

(今日のコトバ)

 

空いてる席には、

誰でも座れる。

ただし、座り続けるには、

ふさわしい実力がなければならない。

 

 

 

 

そこに座り続けている。

それだけで自分という存在が成立する。

ある種のアイコンになり、

そこに責任も生まれる。

座るだけではなく、

座り続けることは、

実力を証明することでもある。

席は、肩書きやポジションで

決まる場合もある。

ただ、その実力が評価されなければ、

席に座り続けることはできない。

座り続けたいか、

続けたくないかもあるだろう。

だが、座り続けたいなら、

実力をつけていく。

常に進化していく。

その心がけを忘れてはいけない。

その席にいるから、

挨拶される。

その席にいるから、

相談される。

その席にいるから、

愛される、、、、。

その席に座り続けることは、

人生の様々な夢を

叶えてくれることなのだ。。

 

 

 

それでも、一本道を生きてきた

 

(今日のコトバ)

 

荒野ばかり歩いてきたけど、

振り返ると一本のまっすぐな道に

なっていた。

 

 

 

生きていると、

あっちこっち寄り道ばかり。

どれだけ一つのことに

集中して取り組んでいても、

無駄に思う道を歩き、

無駄に思う時間を使ってきた。

だが、どうだろう。

自分がここまできた道を

振り返ってみると、

なんだかんだいいながら、

一本の道を歩んできた気がする。

デコボコしたり、茨だったり、

落とし穴があったり、

一筋縄では行かない道だったけど、

前へ、前へと、

一本道を歩いてきた。

無駄だと思ったことさえ、

すべて必要なことに昇華して生きてきた。

そこが人間の素晴らしいところでもある。

人生という荒野を、

何とか知恵を絞って

切り抜けてきた力が

人間にはある。

だからこそ、

これから訪れる様々なことも、

なんとかできる知恵がある。

そう信じて力強く生きていけばいいのだ。

ハングリーを見つけろ!

 

(今日のコトバ)

 

芸は盗めても、

ハングリーは盗めない。

 

 

 

師弟関係のある場合、

よく耳にすることがある。

「芸は盗むものだ」と。

教えてもらうのではなく、

自分で意識して芸の良い部分を

汲み取って、自分のものにする。

盗んだ芸を自分で昇華して、

いずれプロになり、

師匠を超えろということなのだと思う。

ただ、最近思うのだが、

師匠に長くつき過ぎた人が、

師匠を超えられない。

超えられないばかりか、

小さくまとまって、

目立たない存在になっていることが

多いことに気づく。

なぜなのか?

その人たちと、

頭角を現してくる人に

一つだけ大きな差がある。

それは、ハングリーかどうか。

何か目標を決めた時に、

ハングリーをもって取り組むか。

ハングリーがある人の伸びしろは

果てしない。

小さくまとまることもない。

ダイナミックに、大きく成長していく。

芸を盗むこと以上に、

このハングリーが

成長度合いを変えていく。

だからこそ、

目標を決める時に、

そこにハングリーがあるかも

自問自答するべき。

ハングリーがあると判断したら、

想像を超えて

成長できる可能性が生まれる。

芸を身に着け、

大きく羽ばたくには、

芸を盗むこと以上に、

ハングリースピリットが大切。

自分の中のハングリーを見つけろ。

 

心は、いつも同じ

 

(今日のコトバ)

 

心はいくつになっても、

フラフラしている、

オロオロしている、

そして、ワクワクしている。

 

 

 

心って、年をとらない。

いい意味で、

いつまでも同じ。

ワルい意味で、

成長しない。

特に、新しい出来事に出会う前の心は、

子供の頃から変わらない部分が多い。

フラフラする心があって、

オロオロする心があって、

ワクワクする心があって、、、、。

出会ってから時間が経つと、

慣れてきて、

平常心という穏やかな心になる。

人生、この繰り返し。

きっと、寿命がくるまで、

同じようなサイクルが続くような気がする。

そこが人間の強いところであり、

弱いところであり、かわいいところ。

「年をとったのに、まだ、こんなことで、、、、」

と思うこともある。

ただ、それは心の機能。

誰にでもあること。

何も心配することはないのだ。

誰かから依頼のある人生

 

(今日のコトバ)

 

空白のスケジュールは、

あなたがまだ未完成だといっている。

 

 

 

芸人やフリーランスの人は、

空白のスケジュールを埋めることが

最初の目標になるという。

何もない一日。

どうやって時間を埋めていくか。

売り込みもあるし、

紹介もある。

評価をされるだけで、

すぐ仕事が埋まるものではない。

しっかりとした仕事をして

任せらるとならなければ、

仕事は舞い込んでこない。

やり方は人それぞれでいい。

積極的に実力を

アプローチする人もいれば、

地道に力をつけながら

能力を示す人もいる。

その仕事で任せるに値する結果を出せば、

スケジュールは埋まっていく。

もちろん、会社にいると、

流れ作業的にスケジュールが埋まって、

なんとなく一日仕事をした気になる。

だが、その実態は会議に参加していただけ、

ということもある。

長い時間、そういう仕事に慣れると、

ある日突然、なんの力もついていない現実に

直面する。

だからこそ、どんな環境に置かれていても、

自分の力をつけていく。

自分という個のプレイヤーとして

生きていけるように力をつけておく。

空白のスケジュールという状況が

ないように、

誰かから依頼がある人生をつくる。

人の喜びの大半は、

人から信頼されて依頼されること。

喜びながら仕事をするために、

依頼される人生を歩むのだ。

努力で百戦錬磨になる

 

(今日のコトバ)

 

才能は水をやらないと

花は咲かないが、

努力は踏みつけられても

雑草のように成長する。

 

 

 

 

何もしなくても、

人より秀でてしまうものを才能という。

だが、何もしなくても

ある程度の能力は発揮するが、

才能だって、磨かなければ枯れてしまう。

反対に、努力は百戦錬磨で磨くもの。

しんどいことを乗り越えたところで、

一つ一つ成長する。

否、成長する確約はできないが、

心身のどこかが強くなっていく。

タフになっていくことでもある。

努力という言葉だけだと、

古臭い感じがするが、

何かを成し遂げようと思うと、

誰もがこの努力を避けて通れない。

努力する天才という言葉もある。

もしかすると、

努力する天才は

努力をしんどいこととは

思っていないのかもしれない。

努力に楽しみを

見つけているかもしれない。

だからこそ、

才能があっても、才能がなくても、

努力を大切にした方が

何かを成し遂げられる。

「努力」力は何かを成し遂げるための

必需品なのだ。