あたりまえの時間に幸せがある

 

(今日のコトバ)

 

なんでもない小さなことが、

とんでもなく大きいことだと、

失った後、よくわかる。

 

 

 

病院で長期入院したことがあった。

手術後のリハビリを続けながら、

病院食とベッドの日々。

快気する日を夢見た時、

イメージされるシーンがあった。

それも、いつもいつも同じシーン。

普通の生活で、

普通の料理をいつもの仲間と食べる。

喫茶店などで楽しく話す。

ただそれだけ。

特別に栄誉があることとか、

高級料理を食べるとか、

海外旅行に行くことではなく、

普通の暮らしの普通の時間に

戻りたかった。

つまり、

あたりまえの時間の中に、

幸せのシーンがあったことに

気づく。

何も大きいことではない。

何も特別なことではない。

だけど、その時間を失うと、

自分の歯車が狂う時間。

それが、幸せな時間だし、

大切な時間なのだ。

怪我の功名という言葉がある。

もしかすると、

あたりまえの時間に幸せがあると

わかったことが、功名なのかしれない。

そう思った。

 

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