明日には、人生のセカンドチャンスがある

 

(今日のコトバ)

 

明日があるということ。

つまり、セカンドチャンスが

あるということ。

 

 

 

 

今日だけではなく、

明日のことを考えられる。

明日以降の予定を入れられる。

あたりまえのように考えているが、

この明日以降に予定を

入れられるということは、

生きていく上で、

セカンドチャンスが

あるということ。

明日以降にやりたいことを

計画できるだけでなく、

今日の失敗を取り返すために

明日を使える。

今日の後悔を反省するために

明日を使える。

今日までの生き方から、

明日をどうにでも使うことができる。

そのことを理解して生きると、

明日がとても貴重なものになる。

もっと大切に生きようと思う。

明日があるということは、

人生にとっての最高のオプションであり、

セカンドチャンスでもある。

そのことを忘れてはいけない。

幸せは一人称で語れない

 

(今日のコトバ)

 

ほんとうの幸せは、

シェアすると増えていくもの。

 

 

 

シェアとい言葉が正しいかどうか

難しい問題だが、

幸せは一人占めしても、

有効に機能しない。

自分が幸せだと思った時、

自分以外の誰かも

幸せな気持ちになっている。

そういう状況にならないと、

幸せは満喫できない。

そう考えると、

幸せは一緒に喜べる人が

いればいるほど、

大きくなり機能する。

幸せは、

決して一人称では

感じられないのだ。

いま、あまり幸せを感じない人は、

まわりのみんなが喜ぶことを

やってみよう。

その喜びが、

自分とまわりのみんなの

喜びになった時、

幸せは大きく感じられる。

幸せはみんなでシェアすると、

自分にも大きなものになるのだ。

結果の前の実績がものをいう

 

(今日のコトバ)

 

どんな結果になっても

右往左往しない実績を持て。

結果の方が右往左往する実績を持て。

 

 

 

 

一つ一つの結果は大切。

「結果がすべて」ということもある。

だが、結果ばかりを求められて

ヘキエキしている人もいるだろう。

ほんとうは、結果を求められる戦いで、

連戦連勝、無敵などはありえない。

時に、負けることもある。

時に、失敗することもある。

時に、達成しないこともある。

時に休むこともある。

第三者に

結果だけでものをいわれたくない

こともあるだろう。

その時、何が必要になるか。

それは、

いままでの実績ではないだろうか。

いままでの実績があれば、

一度の結果で

四の五のいわれることはない。

「いつも頑張っているから」とか、

「たまには失敗するよ」とか、

いままでの実績がフォローしてくれる。

もちろん、

ボクシングの世界タイトルマッチのように、

一度の敗北ですべてを失うこともある。

ただ、日常の戦いは、

結果の前の実績がものいうことが多い。

だからこそ、日々の物事の取り組み方で、

結果だけでものをいれない

生き方をしよう。

仮に、望んだ結果でなくても、

一喜一憂しない、

一喜一憂させない生き方をしよう。

次に、また意欲的に挑める気持ちを

つくるために。

実績をつくっておくことが大切なのだ。

 

 

真実をどう使うか

 

(今日のコトバ)

 

真実は、

口から外に出るのが怖くて、

心にとどまろうとする。

 

 

 

真実は必ずあるけれど、

「それをいっちゃお終いだよ」と

思うことが多々ある。

なるべく真実を隠して、

できれば、真実に触れないで、

人間関係を保とうとすることもある。

時に、その真実を明かしたことで、

人間関係を複雑にして、

良くない方向に行ってしまうこともある。

真実を隠したことによって、

人間関係を保つことができることもある。

真実。

途轍もなく大きなものをもっている言葉。

真実は一つかもしれない。

ただ、真実をそのまま使うか、

真実とは違う話をするか、

真実には触れないか。

そこが人間のインテリジェンスにも

かかわる。

人生のさまざまな問題に

かかわる。

だからこそ、

真実という言葉を大切にしたい。

そこを忘れてはいけない。

夢中が奇跡のきっかけ

 

(今日のコトバ)

 

奇跡は止まっていては

起こらない。

夢中になって前進した先に

贈られるギフトだ。

 

 

 

 

奇跡。あるいは、

奇跡とまではいかなくても、

人生にとってのいいサプライズを

人はどこかで求めている。

頻繁に起これば嬉しいし、

意識の片隅で

期待しているところもある。

その奇跡や人生のサプライズを

体感したいなら、

人生を止めていてはいけない。

夢、目標をつくって前進する。

夢中になって

取り組むことが大切。

特に、夢中になることが

奇跡に近づく

いちばんの方法のような気もする。

もし、いま、人生に奇跡を

起こしたかったら、

夢中になれる時間をつくろう。

その時間が長くなれば

奇跡は近づいてくる。

自分の人生を素晴らしいものに、

有意義なものにしてくれる。

夢中が奇跡のきっかけになるのだ。

かわりになる人などいない

 

(今日のコトバ)

 

「かわりになる人は、いくらでもいる」

というけれど、

あなたのかわりになる人は

絶対いない。

 

 

 

仕事などで、

上手にできない人や

やる気のない人がいると

「お前のかわりなんて、

いくらでもいる」と

嫌味をこめて上司が

いうことがある。

ある意味、本人のモチベーションを

鼓舞しようとする言葉かもしれないが、

この言葉ほど無駄な言葉はない。

まず、いっている人は、

ただ、腹が立つのを解消しているだけ。

その先のことはほとんど考えていない。

いわれた側は、

とてつなく傷つく。

もしくは、

感じないタイプの人は、

まったく意に介さず聞き流す。

どのパターンも

意味のあるものにはならない。

もっと本質的なことをいえば、

「かわりになる人などいない」のだ。

人は、一人一人唯一無二。

他の誰でもないし、

誰とも違っている。

本来は、

その違った能力を

最大限に発揮して、

有意義な人生をおくるべき。

そのことを肝に銘じて生きるべきだ。

はじまりには、夢や希望がたくさんある

 

(今日のコトバ)

 

「頂」より

「麓」の方が

夢や希望がありました。

 

 

 

まだ、初心者だったり、

何も知らなかったり、

未熟だったり、

新人だったりした時、

てっぺんがどんなものか見えないが、

夢や希望ややりたいことが、

たくさんあった。

てっぺんはどんな風景だろうと

想像して楽しめた。

その他にも、成長していく過程で

挑戦すべきことがあって、

人生の期待が広がった。

反対にてっぺんに立つとどうだろう。

確かに高いところから見下ろせる

快感はあるかもしれない。

ただ、頂点に立つと、

そこから先の夢は限られてくる。

自由に上に駆け上がるのではなく、

下からの追随を抑えたり、

頂点という現状を維持することに

時間を費やさなければならない。

追われる者のしんどさが

つきまとう。

そう考えると、

はじめたばかりの人の方が、

よっぽど夢や希望を持って

生きていける。

いいわるいではない。

ただ、はじめる人には、

夢や希望がたくさんある。

そのことを忘れてはいけない。

 

いまを持っている人が、いちばん輝いている

 

(今日のコトバ)

 

過去の思い出を

たくさん持っているより、

未来の予想図を

たくさん持っているより、

現在のやる事を

たくさん持っている人でいよう。

 

 

 

過去の思い出も、

未来の予想図も、

生きているためには大切なこと。

時に、過去の昔話に花を咲かせ、

心をなごませる。

時に、未来の夢に思いを巡らせ、

心をときめかせる。

どちらも大切なことだ。

だが、それより大事なことがある。

それは「いまやる事」

いま、現在進行形で何をやっているか。

そこに一番の情熱を傾けているか。

そこが人生にとって、

大きなポイントになる。

「いまの自分がいけている」

そのために、過去の話より、

未来の話より、

いまの話ができる人でいる。

いまを持っている人こそ、

いちばん輝いている。

そのことを忘れてはいけない。

 

心は、子供と大人を行ったり来たり

 

(今日のコトバ)

 

心は、永遠の思春期です。

 

 

 

思春期。

子供から大人に変化する時期の

ことだという。

まだまだ子供ともいえるし、

もう大人ともいえる。

不安定で、揺れ動く時期といっていい。

その思春期に、「心」は似ている。

どれだけ長く付き合っても、

完全に大人のように

ふてぶてしくならず、

かといって子供のままように

無邪気ではない。

何か新しいことに取り組めば、

子供のようにソワソワするし、

経験値のあるものは、

大人の対応をすることもできる。

いつまでも子供と大人を

行ったり来たり。

それが思春期に似た「心」。

だとすれば、

あまり「心が強い」とか、

「心が弱い」とかで考えず、

「心のまま」に生きて

いいのではないか。

「心」とは、永遠の思春期。

子供と大人を行ったり来たりする。

そう思って付き合っていくのだ。

 

自分の意見を大切にして生きる

 

(今日のコトバ)

 

強い意見に

引きずられてしまったのは、

弱い意志でした。

 

 

 

 

誰かの意見に流される。

意味があるにせよ、

意味がないにせよ流されてしまう。

いいこと、ワルいことの判断なしで

流されてしまう。

意志がしっかり持ちないと、

日々の生活の中で、

そんなことが起こってしまう。

もちろん、流されているというより、

人間関係に波風立てたくなく、

あえて意見しないこともある。

だが、本当にそれでいいのか。

しっかりと意志をもって、

自分の意見を主張しないと、

後悔することはないのか。

人生を振り返ると、

自分の意見を主張しないで

後悔したことがあるはずだ。

それを考えたら、

自分の意見を大切にすべきだ。

いま、自分の意志とは別に

人の意見に流されている人は、

ちょっと立ち止まって、

それでいいのか考えてみる。

自分の意見があるなら

堂々と伝える。

そこから自分の未来が

少しずつ変わっていく。

人生を有意義に生きるために、

やってみる価値はあるはずだ。