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(今日のコトバ)
「借り」をつくると、
担保に「運」を持っていかれる。
人は、いろいろな場面で
「借り」をつくる。
物質的なことで、
精神的なことで、
意識するしないにかかわらず、
「借り」をつくることがある。
ただ、「借り」を一方的に
つくってばかりいると、
人はだんだん弱気になる。
「借り」をつくっている相手に
卑屈になってしまう。
卑屈になると、
強い気持ち、正しい気持ちで
相手に接することができない。
場合によっては、
ここぞという時、
チカラを発揮できないこともある。
大きく考えると、
人生のチャンスを
逃すことになりかねない。
そう思うと、
やはり「借り」はつくらない方がいい。
できれば、一方的ではなく、
「貸し」「借り」の成立する
関係を築いて生きていく。
ギブ・アンド・テイク。
基本の関係はそこにある。
そこで、人生のバランスをとっていく。
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
手が震えている自分がいる。
足が震えている相手がいる。
心が震えている二人がいる。
ここぞという戦いの時、
人は緊張する。
落ち着かなくなって、
貧乏ゆすりをしたり、
手足が震えたりすることもある。
ただ、人間は緊張する生きもの。
多かれ少なかれ緊張している。
だからこそ、心配するなといいたい。
自分も、相手も、同じ緊張感を
持っているいる。
ハンディはない。
緊張していても、
緊張した中で自分のチカラを出せばいい。
緊張するから実力が出せないと
思う必要はない。
緊張の中で出した力が実力と思えばいい。
人には、どうしても
戦わなければならない時がある。
最高の力を発揮したいと思う時がある。
その最高のチカラとは、
緊張した時に発揮するチカラ。
そう思って挑めばいい。
相手も緊張している。
緊張は、大勝負とセット。
あたりまえのように受け入れ、
挑めばいいのだ。
(今日のコトバ)
頂上も、まだ、坂の途中。
人は、頂上を目指して生きている。
高い頂上、低い頂上あっても、
頂上を目指している。
そして、その頂上にたどり着くだびに
達成感を感じ、喜びを感じる。
人生は、その繰り返しといってもいい。
本来、一つの頂上に着くと、
また、新しい山が見えてくる。
その山へ向かって歩き出すのが、
生き抜くサイクルだ。
だが、人は一つの頂上に達すると、
満足して、そこから登ることを
やめてしまうことがある。
高い頂上だったり、
大きな目標であると、
尚更、満足してしまう。
ただ、人は生きている限り、
目標は生まれていく。
そのたびに、新しい頂上も生まれる。
つまり、生きている以上、
どんな頂上を登っても、
まだ、坂の途中なのだ。
だからこそ、
次の頂上を見つけ、
歩を止めず歩いていけるか。
愚直に歩くことのできる人が、
成長の止まらない人。
遠くまでたどり着くことの
できる人なのだ。
(今日のコトバ)
考えすぎると、
問題は難題になってしまう。
考える生きものといわれる、人間。
確かに、深く、浅くにかかわらず、
日々、何かを考えている気がする。
ただ、いい深さで
意外に難しい。
あまり考えなくていいことを
考えすぎて深刻になる。
もっと考えなくはいけないのに
考えず軽薄になる。
ちょうどいい考えができることが、
結構難しいのが人間かもしれない。
だとすれば、
少なくとも考えすぎて深刻になることは
やめてみる。
小さな問題を大きな難題にしてしまう
可能性がある。
人生において、
難題ばかりだと
生きることが苦しくなる。
できる限り、
深刻にならず、
いい考え方ができるように生きる。
意識して、
深刻にならないことが大切だ。
(今日のコトバ)
肩書きとは、
名前の上に書かれた落書きである。
人は、肩書きを大切にしている。
肩書きで生きているといっても
過言ではない人も、
たくさんいる。
特に、会社に入れば
肩書きで序列が決まる。
社長→副社長→専務→常務→執行役員→
本部長→本部次長→部長→課長、、、
会社によっても違うが、
その肩書き順にパワーバランスが
決まってしまうことが多い。
だが、世の中に出てみると、
肩書きでは通用しないものも多い。
本当は自分で何ができるかが
問われてくる。
生きる術というか、
どう困らないで
生きていけるかが大事。
もっというと、
どう幸せに生きていけるか
ということになる。
肩書きは会社を辞めてしまえば、
その効力はない。
効力がなくなっても、
幸せに生きていけるか。
それが人生には大事。
いま、肩書きで生きていると思う人は、
肩書きがなくなっても、
幸せに生きるために何が必要か
考えて生きる。
そこができると、
人生は素晴らしいものになる。
(今日のコトバ)
あの人のやさしさの深さと、
あの人のかなしさの深さは、
同じ深さにある。
「やさしさは、
試練の数に比例している」と
誰かがいった。
まわりを見ていると、
結構当たっていると思う。
いろいろな人生の試練を経験して、
それでもがんばってきた人は、
やさしさの許容度も大きい。
人をあたたかく包むことができる。
もっというと、
傷ついた誰か対して、
やさしさで癒すことを知っている。
その人間力は
どこからきたのかというと、
人生の試練を乗り越えたからこそ、
と思うのだ。
「やさしい人」
人にやさしくできる人には、
そのやさしさの
根拠となる試練があった。
だから、もし、自分に試練があるなら、
逃げるだけでなく、
受け止めて生きてみる。
知らず知らずのうちに、
やさしい力がつく。
名前を変えると、
人間力ともいう。
試練は、
やさしさという人間力を生むのだ。
(今日のコトバ)
結果とは、
継続するための中間発表である。
人生は、
結果を求められる。
何かの目標を立てれば、
自動的に結果がついてくる。
人は、
その結果に一喜一憂して、
人生に抑揚をつける。
結果は、人生にとって
必要不可欠なものだ。
だが、
間違えてはいけないことがある。
それは、どんな結果も
途中経過だということ。
結果は一区切り。
その先にも人生は続いていく。
一喜一憂してもいい。
大声で笑ってもいい。
大声で泣いてもいい。
ただそれは、
人生一区切り。
次へのスタートがはじまる
号砲でもある。
人は、結果によって、
いいこと、わるいことを体験する。
その中で、
この先どう生きていくかを考える。
そのことが一番大切なのだ。
(今日のコトバ)
「いつか」といっている人には
教えてあげよう。
「いつか」とは、
「今日」のことであるとを。
「いつか」に、
約束、期限はない。
責任を持たない未来に、
なんとなくの意欲を
見せる時、「いつか」を使う。
ただ、「いつか」ほど、
人間をいいかげんにするものはない。
「いつか」、やる。
「いつか」、実現する。
「いつか」、決める、、、、。
「いつか」といった瞬間、
未来予想図があやふやになる。
もし、夢や希望があるなら、
いいかげんやあやふやで
あってはならない。
何も決めることができず、
時間だけが過ぎてしまう。
夢や希望が叶うことはないのだ。
だからこそ、
「いつか」を使う人には
教えてあげよう。
「いつか」とは、
何も決めていないこと。
夢や希望を叶えるなら、
「いつか」ではない
未来をきちんと決める。
そこがスタートになることを
忘れていけない、と。
(今日のコトバ)
ここから逃げなかった者だけを信じよ。
人生には、様々な難題に直面する。
辛くて、逃げ出したくなることも
たくさんある。
その状況にもよるが、
基本は粘って、
なんとか難題を乗り越えようとする。
もちろん、辛すぎて、
逃げてしまい時もある。
だが、簡単に逃げる人、
難局に対峙しようとしない人もいる。
その人と何かを取り組むのは
難しい。
辛いことが、さらに辛くなる。
パートナーとしての足し算、かけ算が
できなくなる。
反対に、少々能力が劣っても、
逃げないで一緒に戦ってくれる人は、
最終的に力になってくれる。
何より、
最後まで逃げないとわかっている人は、
信頼感、安心感がある。
自分の精神的なものも安定させる。
だからこそ、人生の難題に対峙するには、
逃げない人を信じる。
そして、全力で解決策を練る。
一歩一歩でいいから前進する。
最後まで逃げない人とならできる。
間違いないと思う。
(今日のコトバ)
あたりまえとは、
照れかくしした
「幸せ」のことでした。
こんな時代になると、
あたりまえが、
どれだけありがたいかよくわかる。
あたりまえに、仕事をする。
あたりまえに、勉強にする。
あたりまえに、運動をする。
あたりまえに、食事をする。
あたりまえに、恋愛をする。
あたりまえに、生活をする、、、、、。
普通に生きていれば、
あたりまえの出来事が、
有事になると、
どれだけ貴重な時間の連続だったか、
みんな気づいたと思う。
仕事も、勉強も、運動も、食事も、
恋愛も、生活も、
あたりまえではなく、
貴重な時間の連続だったのだ。
だからこそ、
あたりまえの日々に感謝しよう。
あたりまえは、決して、
あたりまえではない。
あたりまえは、
大きな幸せであることだと、
しっかり心に刻もう。
人生は、
あたりまえが続くことで、
生きることができる。
そのことを忘れてはいけない。
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