(今日のコトバ)
人と人には、情状酌量の余地がある。
ケンカして敵対関係になる。
議論して決裂する。
奪い合って両方が権利を主張する。
人には、人の言い分があって、
その言い分と言い分が妥協点を見出せない場合
取り返しのつかない状態になることもある。
冷戦状態となって交わることを避けることさえある。
社会があって人と人が何かのテーマに向けて
アイデアを考えれば意見のぶつかりあいはあたりまえだ。
ただ、相手の意見を完膚無きまでにつぶすことで
権利を奪いとっても、後々しこりが残りうまい関係は築けない。
相手の意見に賛同できなくても耳を傾けて
妥協できる部分を探すことも人と人の間では必要だ。
100対0という結果になると、0だった人が次のテーマに
走り出すのは時間がかかる。
さらに、世の中を動かしていくことが、100対0ということもあまりない。
言葉は悪いが灰色の部分があって、社会は成り立っている。
先日の亀田興毅のようなプロスポーツでも、灰色の判定が出るときもある。
もっといえば、サッカーの試合だって完全アウェーの場合、
平等な条件といえるだろうか。チームよっては富豪のオーナーがいて
金に糸目をつけずスーパースターを集めることだって、
フェアーなチームづくりとはいえないだろう。
一般の社会になれば、なおさら妥協を要求される。
社長が白いものを黒といったら黒になるのが常だろう。
だから、人と人、組織と組織の中で、
相手の立場にたって考えるやさしさをもとう。
みんな懸命に生きている。その存在理由をぶち壊すことは、
ベストの選択とはいえない。
人と人が生きるためには、情状酌量の余地が必要なのだ。