夢は人生を長く愛する

 

(今日のコトバ)

 

悲しみは、夢ほど寿命は長くない。

 

 

 

深い悲しみ。浅い悲しみ。

一瞬の悲しみ、、、。

悲しみにもいろいろある。

もちろん、長く尾を引く悲しみもある。

だが、たいがいにおいて、

悲しみは忘れられていく。

どんなにつらくても、

時間と共に忘れていく。

では、夢や希望はどうだろう。

小さな夢。大きな夢。

一瞬の夢、、、、。

夢にもいろいろある。

だが、人生を懸けた夢は、

簡単には終わらない。

夢を持ったら、

その夢を大事にして

生きていきたいと思う。

仮に夢が破れても、

また、似たような夢、

あるいは、同一線上の夢、

つながっている夢などを

人生の目標にしようとする。

比較することが正しいかはわからない。

ただ、人生は

悲しみより夢の方が

長く生きているような気がする。

だからこそ、夢を持って生きることが大切。

悲しみより長い寿命で、

人生に目標を持たせてくれる。

夢は、人生を長く愛してやまない

伴走者なのだ。

 

勝負は命果てるまで

 

(今日のコトバ)

 

うれしいことに人生は、

逆転できる可能性を命果てるまで

残してくれる。

 

 

 

人生の勝ち負けを判定するの難しい。

勝ったことがあるし、

負けたこともある。

飛びぬけた実績はなくても、

人生全体で勝つ人もいる。

長い人生でいえば、

子供の頃、神童と呼ばれた。

高校の頃、甲子園に出場した。

大学の頃、東大に合格した。

就職は、一流企業に内定した。

管理職に、同期で一番早くなった。

起業に成功し、社長になった等々。

人生で勝った、

人生が成功したと思える時はある。

ただ、実は、それと同じ数だけ敗北や

失敗があることも事実。

そして、その勝利・敗北、

その成功・失敗は、

命果てるまで続いていく。

寿命の最期のその前に、

さして病気にもならず、家族に恵まれ、

穏やかな時間を過ごせれば、

それが最大の勝利かもしれない。

だから、人生は面白い。

息を引き取るまで、

人生の勝負は終わらない。

そう思うと、いくつになっても

生きる力がわいてくるはずだ。

一方的にならない意識

 

(今日のコトバ)

 

全員賛成に、落し穴がある。

全員反対に、落ち度がある。

 

 

 

 

最近、特に思うことがある。

世の中、0対100で動くことはない、と。

人は、問題を整理するために、

敵と味方。上と下。賛成か反対か等。

スパっと切って物事を進める。

だが、どうしてもスパッと切りきれない

問題があって、実は、そこが

一番重要な問題を

かかえているこが多い。

だからこそ、

「全員が賛成」という問題に

懐疑的になっていい。

反対に、

「全員が反対」という問題の

問題点も洗い出す。

判断に時間が

かかるかもしれない。

ただ、それは必要な時間。

常に、一方的にならない意識をもって、

正しいことをみつめる。

世の中は、

一方的に解決することは

とても少ないのだ。

 

 

「できない」は、「やりたくない」

 

(今日のコトバ)

 

「できない」の99%は、

「やりたくない」でできている。

 

 

 

 

「できない」といってみたものの、

ほんとうに「できない」のだろうかと、

自問することがある。

ほんとうは「できなくはない」。

だが、やる気になれなくて、

「できない」といってしまってないか。

自分自身で考えてみると、

ほぼ「できない」というよりは、

「やりたくない」気持ちの時、

少し言い訳ぽく、少しかっこつけて、

「できない」といっているような気がする。

同僚にも「できません」といわれると、

「なんで、できないんだ。

お前ならできるだろう」とよくいっている。

それは、こちらとしては本音で、

「これぐらい、、、」という

気持ちを含みながら、

「できるだろう」と思っている。

だが、相手の本音からすると、

「できない」といってはいるが、

ほんとうは「やりたくない」と

思っているのだ。

そう考えると、

すんなり相手の気持ちがわかる。

だからこそ、

自分において「できない」を

使う時は慎重になっていい。

きっと、相手も心のどこかで

「できないはずはない」と思っている。

「できない」という気持ちの

99%は「やりたくない」でできている。

自分が発言する時も、

相手が発言する時も、

「できない」は、

「やりたくない」を

ヴェールに包んでいるだけ。

そう理解して間違いないと思う。

 

 

 

劣等感の進撃

 

(今日のコトバ)

 

優越感は、

いつか劣等感という

銃弾に撃ち抜かれる。

 

 

 

勝利や成功でいい気分にひたる。

いい気分なのだから、それも当然。

誰もが優越的な気持ちになる。

だが、その時、必ず敗北や失敗で、

悔しい思いをしている人がいる。

その人々はほぼ、

劣等的な気分に陥っている。

屈辱感が心の全体を占め

とめどくなく自己嫌悪になる。

ただ、その気持ちはそれでは終わらない。

敗北や失敗から生まれた劣等感は、

いつか勝利や成功を

自分のものにしようすると

目標を見つける。

そこから劣等感の進撃がはじまる。

人生のあらゆる時間を使って、

人生で培った知恵を使って、

人生でつくり上げた肉体を使って、

勝利や成功と共にそびえたつ

優越感に立ち向かう。

だからこそ、劣等感は大切。

いつか優越感を倒すための

最強の武器になる。

自分の最強の武器になる。

そのことを忘れてはいけない。

想い出は、美しい物語になる

 

(今日のコトバ)

 

生きることが素晴らしいのは、

バタバタ、ドタバタ、ジタバタしながら、

みんな記憶で美しいものにするところ。

 

 

 

 

「人生は短い」と

振り返るとそう思うことがある。

だが、一つ一つの出来事が

現在進行形の時は、

簡単に短かったといえないことも多い。

特に、自分にとって逆風だったり、

危機的状況だったりする時は、

一分一秒が、

永遠のように長く感じる時もある。

ただ、

どんな状況も現在進行形でないと、

短く思えてしまう。

想い出となると、

辛いことが笑い話になるし、

もっというと、美しい物語にもなる。

もしかすると、

想い出なると

美しい物語になるところが、

人間の持っている機能で

いちばん優れているところかもしれない。

だからこそ、いま、人生に苦戦していて、

一日一日が長く感じている人も、

やがて想い出になれば、笑い話になる。

美しい物語になる。

そう信じて生きる。

人生の苦戦を乗り切り、

前を向いて生きる一つの方法なのだ。

 

気持ちは人生の演出家

 

(今日のコトバ)

 

離れれば離れるほど、

近づきたがるものがある。

気持ちという一途な生きものである。

近づけば近づくほど、

離れたがるものがある。

気持ちという浮気な生きものである。

 

 

 

気持ち。

このいつみどころのないが、

確実に自分の中に存在するもの。

特に、精神的に追い込まれたり、

自分に影響する出来事があると、

いろいろな動きをして

その存在感を増す。

自分の思考を肯定するかと思えば、

自分の思考を否定することもある。

どっちつかずで、

あっちへ行ったり、

こっちへ来たりすることもある。

人は、このつかみどころのない気持ちを

みんな持っている。

少々、やっかいだが、

この気持ちがあるからこそ、

世の中という面倒くさい組織を

渡り歩けるのかもしれない。

この気持ちがあるからこそ、

この世の中でバランスをとりながら

生きていけるのだ。

いま、気持ちがいろいろと

それこそ一喜一憂する人もいるだろう。

ただ、その気持ちの動きがあるからこそ、

世の中を渡り歩いていける。

そう思うと、気持ちは大切。

気持ちに感謝していい。

そして、この気持ちと一緒に

人生が終わるまで生きていく。

気持ちは、人生という大河ドラマを

陰で指示を出す演出家。

自分の気持ちと対話して

生きることも必要なのだ。

 

 

 

失敗を成功への礎にする

 

(今日のコトバ)

 

失敗の跡は、

そのまま成功への導火線になる。

 

 

 

世にいう

有名人のサクセスストーリーを

訊くと、

そのすべてといっていいほど、

大きな失敗を体験している。

凡人と違うのは、ここから。

失敗で落ちこまない。

失敗であきらめない。

失敗を成功への礎にしているところが違う。

とにかく失敗をポジティブに転換している。

凡人は、失敗であきらめる。

そこで終了にしてしまう。

人生に差があるとすれば、

そこだけかもしれない。

失敗であきらめてしまうのか。

失敗を次への進化につなげるのか。

人生は、成功して

自分の夢が実現していく。

もし、いま、自分の目指すものを

実現したいなら、

失敗をいかに自分の財産にするか。

そう考えれば、

少しずつ成功への道が開けるはずだ。

 

 

人生は、その先がある

 

(今日のコトバ)

 

失点を怖れるな。

満点にうぬぼれるな。

人には、点数の先の人生がある。

 

 

 

人生は、否応なく、

途中で評価される場面がある。

時に評価され、称賛される。

時に批判され、中傷されることもある。

人は弱い生き物だから、

一喜一憂する。

状況によっては、

鼻持ちならないほど天狗になったり、

反対に、立ち上がれないほど

落ち込むこともある。

だが、人生はそこで終わらない。

その先も続いていく。

評価された時間も過ぎ去る。

批判された時間も過ぎ去る。

だからこそ、

人生がどんな状況になっても、

その先があることを意識して

生きるべきだ。

すべては過去になる。

それならば前を向く。

先をいく。

そんな気持ちを持つことが大切だ。

 

「いつものように」は大事なピース

 

(今日のコトバ)

 

いつもそこにいるということは、

世の中のピースなんだ、

欠けてはいけない。

 

 

 

 

いつものように出社して、

いつものように席につき、

いつもように仕事をこなす。

いつもの日々のいつもの時間。

だが、その「いつものように」が

「いつものように」でなくなると、

途端に世の中の機能が狂う。

自分のまわりのを考えてみるといい。

自分の同僚が休んだだけでも、

やりくりが大変だ。

大きな会社なら

代理がいるかもしれないが、

小さい会社なら代理はいない。

大きな会社だって、

社長を含め役員クラスがいない日は、

仕事が滞る。

その他にも、学校、お店等、、、、。

いつものように

そこにあってあたりまえのものが、

そこにないと困ることが

たくさんある。

つまり、いつもあたりまえに

そこにあるものは、

すべて世の中の大事なピース。

なに一つ欠けてはいけない。

そして、あなたも

その大事なピースであることを

忘れてはいけない。