尖って、正しい道を探す

 

(今日のコトバ)

 

尖っているのは、

丸め込まれるのを拒否したからだ。

 

 

 

 

なぜ、あの日、

あんなに尖っていたのだろうと、

若き日を振り返ると

思うことがある。

少年から大人に成長する時期、

必要以上に尖ってみせようとした。

大人になるためのルール、

社会のルールが自分に迫ってきて、

それが正しいか

正しくないかわからないから、

いちいち抵抗した。

その状態が尖っていたのだと思う。

まだ、若いから

力が有り余っていたこともあるだろう。

ただ、若き日、尖っているのは、

大人のルールに丸め込まれまいとする証。

だとすれば、大切な成長の過程になる。

尖っている若者こそ、

実は、正しい道を歩いていく人たちなのだ。

 

 

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