正しい前進

 

(今日のコトバ)

 

前へ進むだけが前進ではない。

横へ進むことも、

後ろに進むことも前進である。

生きる領域は、踏み出した数だけ広がる。

 

 

 

夢や目標を持つと、

前へ前へ進んでいこうと考える。

間違いではない。

意欲とか勢いを考えたら正しいといえる。

だが、長い人生を考えると、

前へばかり進むことだけが前進でないと

思える時がある。

たまには、立ち止まって休む。

英気を養うから、また、がんばれる。

横にいる仲間を確認するから、

安心して生きていこうと思える。

後ろを振り返って、

経験の中で「止めろ」という指令が出れば、

止めることも前進かもしれない。

人生には、前へ進むだけではない前進がある。

そのことを意識して生きていきたい。

その時、その瞬間で正しい選択をする。

そのために正しい前進をするのだ。

地道は、人に与えられた最高の正攻法

 

(今日のコトバ)

 

地道は、上り坂だけど、

すべて近道でした。

 

 

 

いちばん早く目標を達成したい。

誰もがそう思って目標に向かう。

できるだけ、簡単に、

できるだけ、近道で、

できるだけ、早く。

だが、目標へはなかなか到達しない。

ミスもあれば、

不測の事態もある。

想定外のことだって、

立ちふさがることもある。

そもそも目標設定に

無理があることさえある。

その時、思うことがある。

地道こそが目標到達の最短距離である、と。

遠まわりのようで、

めんどうくさくて、

しんどいことも多いが、

それでも、地道に着実に課題をクリアした者が

いちばん早く目標に到達する。

そして、地道が正攻法ならば、

誰でもその方法で挑戦できる。

奇策でも、魔法でも、飛び道具でもない、

地道という方法。

その方法を信じて目標に挑戦する。

地道は、人に与えられた最高の正攻法なのだ。

 

正々堂々と全力を尽くす

 

(今日のコトバ)

 

誰かを踏みつけた足は、

自分の背中を踏みつけていた。

 

 

 

人と争っている時、

フェアーではない戦い、

反則技などを使って、

相手を踏みつぶそうとする。

なにがなんでも勝ちたい意識が、

どんな手を使ってもいいと

勝手な基準をつくってしまう。

気持ち的にわからなくもない。

だが、汚い手を使うと必ず自分に返ってくる。

罰が当たるではないが、

汚い手は、決して、自分を幸せにしない。

めぐりめぐって、痛い目にあう。

だからこそ、

やっぱり正々堂々と全力を尽くす。

汚い手で結果を急いだりしない。

仮に、汚い手で結果が出たと思っても、

必ずその後に痛い目が待っている。

正々堂々と全力を尽くし、

自分が納得する形の戦いをする。

そのことを忘れてはいけない。

満足の次の目標を

 

(今日のコトバ)

 

魂は、

飢えていないと燃えない生きもの。

 

 

「満足すること」

人生では大切なことだ。

できるだけ満足しながら

生きていきたいと思う。

ただ、こうもいえる。

満足してしまうと、

そこから進歩しなくなる。

成功した、勝った、達成した等。

その瞬間は嬉しいのだが、

そこから先のことを考えなくなる。

特に大きな取り組みが終わって、

結果が出てしまうと、

燃え尽きてしまうこともある。

そうすると、

なかなか次の目標に気持ちが動かない。

満足は、人生にとって大切だ。

だが、その先に目標をつくっていないと、

進歩しなくなることがある。

そこを忘れてはいけない。

人は、飢えがあるから

がんばれる。

満足は飢えの対局にある。

満足してもいい。

その時、

次の目標を持っている生き方をすることが、

人生には大切なことだと思う。

 

自分の持っているやさしさを届けるために

 

(今日のコトバ)

 

自分の持っているやさしさ以上に、

誰かにやさしくすることはできない。

 

 

 

やさしさは大切だ。

特に、やさしさを必要としている人に

やさしさを届けられるとしたら

素晴らしいことだ。

ただ、やさしさにも個人差がある。

たくさんある人もいれば、

そうでない人もいる。

いつもはたくさんある人だけど、

自分が苦しい時は、少なくなる人もいる。

つまり、自分がやさしさを持っているから、

誰かにやさしさを届けられるのだ。

そう思うと、

誰かにやさしさを届けたいと思ったら、

ある程度

やさしさを持っていなければならない。

少ししかなければ、

やさしさも分けられない。

そして、

自分が持っている以上のやさしさは、

誰にも届けられない。

そのことを理解しよう。

失言は、本音

 

(今日のコトバ)

 

 

なんだか政治家の失言は、

ぜんぶ本音のような気がする。

だって、自分の失言は、

すべて本音なんだから。

 

 

 

失言という言葉が飛び交う。

「いってはいけないことを、

うっかりいってしまう」ことが

失言というらしい。

となると、いってはいけないと本人が

わかっているか、

世の中がいってはいけないと思っているのに、

本人に自覚なく発した言葉か。

後者の方が多いと思う。

だが、失言といったって本人が

思っていないことはいわない。

むしろ、本人の本音が失言になっている

ことが多いはずだ。

自分に置き換えても、

失言と呼ばれるような発言をしたとき、

その言葉は本音に近いことばかりだ。

だとすれば、

「政治家の失言」というより、

「政治家の本音」とした方がいい。

謝罪するときも、

間違っていたと思うのなら、

「自分の考え(本音)が間違ってました」と

いった方がいい気がする。

失言という言葉がちょっと気になった

今日この頃である。

 

 

行くべき場所に、好きな人をつくる

 

(今日のコトバ)

 

行く場所に好きな人がいると、

がぜん、やる気が出る。

 

 

仕事場に行く。

学校に行く時、

何を考えているだろう。

もちろん、仕事のことだったり、

勉強のことだったりが、

最大の目的であることはわかる。

だが、行くべきことが目的だけになると、

ちょっとしんどいことになることもある。

仕事だけのために仕事場へ行く。

勉強だけのために学校へ行く等。

そうなると、息苦しくなったり、

仕事や勉強がつらいと、

行くことも嫌になってしまう。

そんな時、

どうすれば行きたいと思えるか。

それには、

行く場所に好きな人をつくることが大切。

「好きな人」

恋愛的に好きな人。

友達として好きな人。

師匠として好きな人等。

何でもよい。

好きな人がいると思えば、

そこに行くモチベーションがあがる。

行きたいと思うようになる。

だからこそ、

行くべき場所があるなら、

その場所に好きな人をつくる。

目的と共に大切なことだ。

 

直感、思いつきを大切にする

 

(今日のコトバ)

 

直感は、発見である。

 

 

ポンと思いついたことが、

案外、いいアイデアで、

困難な状況を

解決してしまうことがある。

直感とか、思いつきとかいわれること。

脳のことはよくわからない。

ただ、この直感的なことで、

新しい展開が開かれていくことは事実。

だとすれば、

この直感的なことを大切にすると、

新しい発見がある人生になるのではないか。

直感、思いつきがあったら、

一度、じっくり考えてみる。

人生の展開に必要なヒントが

あるかもしれない。

否、きっとあるはず。

意識すれば、

直感や思いつきが

人生の大きな力になってくれる。

そう信じて直感、思いつきを大切にしよう。

 

じぶんの意見を意識して

 

(今日のコトバ)

 

みんなの声を聞いてばかりいると、

じぶんの声が聞こえなくなる。

 

 

 

みんなの声というものがある。

おおよその意見。

大衆の大勢の意見。

まわりの人の意見等。

その意見を鵜呑みにする、

あるいは、

その意見ばかりを信じてしまう。

そんなことばかり

繰り返している人がいる。

そういう人は、

自分の意見というものを

持たなくなる。

なんとなく大勢の意見に従って

生きてしまう。

自分の異論や反論、

もちろん正論もなくなる。

続けていると、

知らず知らずのうちに、

じぶんが無くなってしまう。

それでもむ生きていけるが、

それでいいのだろうか。

自分というものがすり減って、

無くなったりしないだろうか。

みんなの意見は大切。

だが、自分の意見はもっと大切。

そのことを意識すれば、

みんなの意見と自分の意見が

仕分けできるはず。

みんなの意見でいいものはいい。

自分の意見もいいものはいい。

そんな気持ちで生きていければ、

自分らしく生きられると思う。

幸せであるということを、肌身離さず

 

(今日のコトバ)

 

朝、今日の幸せの数を数えて始めよう。

夜、今日の幸せの数を数えて眠ろう。

 

 

どれだけ幸せに包まれて生きているか。

人は時々忘れてしまう。

反対に、不幸に襲われた時、

その大きさに吞み込まれて右往左往する。

ただ、よくよく考えてみると、

幸せという土台なしに

生きることはできない。

たくさんの幸せがあって、

いまの自分がある。

だとしたら、

幸せに感謝して生きることが大切。

では、幸せに感謝とは、

どうすればいいのだろう。

それは、幸せな自分の環境を

思い出せばいい。

ひとつひとつ幸せと思うものを

思い起こせばいい。

それだけで、幸せな気持ちになれる。

どれだけ幸せに包まれているかわかる。

幸せを確認することで、

感謝する気持ちになれる。

幸せであるという気持ちを、

お守りのように肌身離さず持っていよう。