服を着て、人間になる

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

裸だと傷つくから着飾るのだ。

 

 

服を着て生きる生きものは、

人間だけだ。

裸で生きる人は、

ほとんどいない。

では、なぜ、服を着るのだろう。

それは、傷つくのが嫌だからだと思う。

裸でいれば、

もちろん、体は傷つきやすい。

だが、そんなことを

いっているわけではない。

すべてを見せてしまうのは、

心が傷ついてしまうからだと思うのだ。

人間は、進化の過程で羞恥心を身に着け

傷つく生きものになった。

せめて、その表面の体だけでも

傷つかないように服を着る。

裸の王様という言葉もある。

自分だけが真実が

見えなくなっている人のこと

とでもいおうか。

反対にいえば、

服を着ている王様は、

真実が見えているといえるのか。

すくなくても裸を揶揄している。

服を着る。

着飾る。

そのことで、人間は人間になる。

傷つかない予防になる。

進化していく人間の証明であり、

弱さでもあるのだ。

 

いい仕事をしてくれる人

 

(今日のコトバ)

 

相談するなら、忙しい人に。

 

 

何かを頼む時、

しっかりやってくれる人を選びたい。

時間を割いくれて、

自分と向き合ってくれて、

丁寧な仕事をしてくれる人。

普通にそう思う。

ただ、この条件をのめるとなると、

忙しい人は難しくなる。

時間の余裕のある人、

つまり、暇な人になる可能性がある。

実は、そこが問題。

暇な人には理由がある。

いいかげんである。

むらがある。

物足りない。

信頼がおけない等の何かの理由がある。

反対に、やってもらえるかわからないが、

忙しい人にも理由がある。

それは、

いい仕事をし続けているということ。

いい仕事をするから、

評判になって依頼が殺到する。

必然的に忙しくなる。

誰もが思う。

忙しくてもいいから、

いい仕事をしてもらいたい。

だから、

忙しいとわかっていても、

いい仕事をしてくれる人を選ぶ。

「相談するなら、忙しい人に」

いい仕事をしてもらうための

わかりやすい判断基準だ。

希望は、人生についていてくれる

 

(今日のコトバ)

 

 

人生には、

希望が無限に用意されている。

 

 

 

生きていると、

いろいろなことがある。

いいことばかりではない。

時に失望、

時に絶望も、ある。

だが、思うことがある。

どんなに失望しても、

どんなに絶望しても、

希望は失われないと。

どんなメンタルの状態になっても、

どこかに希望がある。

それが、夢になったり、

幸せになったり、欲になったりするけど、

希望が完全に失われることはない。

長く生きてきて、

しんどいことは多々あった。

それでも、生きていると、

どこかに小さくても希望がある。

おそらく、

命が果てるその日まで、

希望はあるような気がする。

つまり、今日を生きている人には、

必ず希望がある。

それだけで、

ちょっと強く生きていける。

もう少し頑張ってみようと思える。

希望は人生についていてくれるのだ。

行きたい場所があれば、生きていける

 

(今日のコトバ)

 

行きたいは、きっと、生きたいなんだ。

 

 

 

どこかへ行きたいと思う。

遠くであろうが、近くであろうが、

行きたいと思う。

それは、実は、生きたいと

思っているのではないだろうか。

行くという目標があって、

そこに向けて前進していく。

まさしく、生きることにつながらないか、

そう思うのだ。

若くて、忙しいと、

どこかへ行くことは、

ルーティンワークで

処理する出来事かもしれない。

だが、年をとって、

どこかへ行くことは、

すべて生きるための

目標であることに気づく。

だからこそ、

「行きたいは、生きたい」になる。

いま、生きたいと思うテーマがなかったら、

まず、行きたいと思う場所を

決めることからはじめてみよう。

きっと、生きたいという気持ちが

強くなってくる。

人生、行きたい場所があれば、

生きていけるはずだ。

愛すると人は新鮮になる

 

(今日のコトバ)

 

愛する人に出会うたびに、

また、人生がはじまる。

 

 

人を愛すると、

常に気持ちが新鮮になる。

他のどんな気持ちも、

何度も経験すると、

こんなもんだろうと予測して

熱くなれなかったり、

経験値から

気持ちが後ろ向きになることがある。

だが、愛するという気持ちだけは、

一瞬であっても新鮮になる。

愛することだって、

何度も経験していれば、

上手くいかない愛のややこしさ、

相手との気持ちの掛け違いなど、

痛い目にあった記憶があるはず。

だが、愛だけは別物。

「愛すると人は新鮮になる」と

初期設定されているようだ。

もし、いま、

人生が新鮮でないと思うなら、

愛する人を見つければいい。

愛する人がいるという幸せと、

自分が新鮮な気持ちになれるという

大きなギフトを手にできる。

2月14日、そんなことを思った。

劣等感は、成長への一歩

 

(今日のコトバ)

 

劣等感は、

進化しようとしない人には

起こらない感情です。

 

 

 

劣等感。

自分と他人を比較して劣っている部分。

そこを考え始めると、

気持ちが落ち込んでしまう。

決して、いい状態とはいえない。

だが、なぜ劣等感が起こるのかを

考えると、

それほどワルいことではない気もする。

誰かと比較して

劣っていると考えるということは、

自分が成長しようと

考えているからに他ならない。

どうでもいいと思っていたら、

劣等感など起こらない。

そう思うと、

劣等感が起こることは、

成長への一歩。

その劣等感をどう考えて、

どこへ向けていくか。

上手く成長に結びつけられれば、

人生を生きるための

大きなエネルギーになる。

そのことを忘れてはいけない。

 

自分と人生はパートナー

 

(今日のコトバ)

 

人生は、あなたが投げ捨てない限り、

絶対、あなたを見捨てない。

 

 

 

いいことがないと思うことがある。

人生とは?

と深く考えてしまうこともある。

人生は、山あり、谷ありと思って、

冷静に見つめられればいい。

ただ、そうとばかりいえない時もある。

その時、

どう考えたらいいのだろう。

簡単な答えはない。

ただ、少しだけのヒントは、

人生は見捨てたりしないということ。

悩んだり、迷ったりすることは、

自分の人生が

解決策を探しているということ。

未来への出口を探しているということ。

その行為だけとっても、

人生は前向きにがんばろうとしている。

そう思うと、

自分には人生というパートナーがいる。

絶対、パートナーはいると信じられれば、

もっともっと強く生きていける。

孤独な気持ちを少し消すことも

できるはずだ。

 

 

人を傷つけない時の嘘

 

(今日のコトバ)

 

真実の痛みに耐えられない時、

嘘は優しい真実になる。

 

 

 

昔のドラマではよくあった。

不治の病の告知の時、

別の病名を伝えて患者の気持ちを

和らげようとした。

現在は、どんな病名でも、

ほぼ告知するのだが、

ある時代はみんな口裏を合わせて

嘘をついた。

ただ、生きていると、

真実を伝えることが

最良の選択でない場合もある。

例えば、自分が中間管理職の課長だとして、

部長が新人のスキルに疑問符をつけている。

その言葉をそのまま伝えたら、

新人はつぶれてしまうと思った時、

言葉は慎重になる。

真実を伝えるようにしたいのだが、

モチベーションを上げるために、

「部長がすごく期待している」と

真実ではない言葉を伝えることもある。

優しい嘘とでもいおうか。

この世の中で生きていると、

真実が重すぎることがある。

その時、優しい嘘も必要。

人を傷つけけないための嘘。

誰もが心のどこかに

持っていていい嘘ではないだろうか。

 

未知の自分に出会う

 

(今日のコトバ)

 

追いつめられて、自分に神が宿る。

 

 

 

「締め切りが明日」となると、

ものすごい勢いで頭が回転する。

自分の処理能力も高速になっていく。

誰にでも経験があるはずだ。

そういえば、子供の頃、

夏休みの最終日に、

やっていない宿題をやり遂げる能力は、

自分であって自分でないような気がした。

人は、追いつめられると、

特殊な能力を発揮する。

これが、普段いつでも

発揮できればいいのだが、

追いつめられないと発揮できない。

社会に出て、

締め切りや納期がある仕事をすると、

その能力は顕著になる。

だとしたら、

自分の能力を高速化し、

最大限に発揮するために、

締め切りを多くつくる。

締め切りが多い作業を続ければ、

未知の自分をたくさん発見できる。

そう信じて締め切りに挑む。

自分の能力を進化させる一つの方法だ。

 

 

 

未来への渇望

 

(今日のコトバ)

 

人生に飢えていると、

どうしても未来が欲しくなるんだ。

 

 

 

何かに渇望している。

途轍もなく飢えている。

手に入れることができるなら、

どんな困難もいとわない。

そんな気持ちになることがある。

その時、欲しいものとは何だ?

もちろん、夢や目標によって、

答えは違うだろう。

ただ、一言いえるのは、

そのすべてに未来があるということ。

夢でも、目標でも、

その主体となるのが未来なのだ。

「未来をこうしたい」と思うから、

自分の人生が飢えていくのだ。

未来への渇望。

物理的にひもじいということではなく、

人生が飢えること。

ほんとう欲しいものは、

いつも未来なのだ。