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(今日のコトバ)
前向きになれなかったからといって、
後ろ向きになる必要はない。
横を向いてみよう。
同じ顔した「可能性」が
いっぱいいる。
何かにつまずいて、
前向きになれない時がある。
「人生、うまくいかないな」と
つぶやくこともある。
気持ちが後ろ向きになっている。
そんな時、
ふと思うことがある。
自分と同じような人はいないかと。
まわりの人で捜したり、
ネットで検索したり、
いろいろ捜してみる。
そうすると、
意外に自分と同じ状況、
同じ悩みをかかえている人が
たくさんいる。
同じ状況でも
決して後ろ向きではなく、
解決策を持って前進している人がいる。
ただ、見つめる人が違うだけで、
自分が大きく救われるのだ。
そう考えると、
前向きになれない時は
常に横を見る、
同じような状況の人を捜すことを
意識して生きる。
それだけで、
前向きな気持ちになれる。
いち早く元気になるための
一つの方法だ。
(今日のコトバ)
やる気があれば、
どこでも最高の環境になる。
何かをはじめる時に、
さまざまな環境がある。
最高の環境もあれば、
最低の環境もある。
こちらが環境を選べればいいが、
たいがい選べないことが多い。
ただ、自分の環境は
整えることはできる。
「やる気」という気持ちを整えること。
どんな最高の環境であっても、
「やる気」があれば、
環境は二の次、三の次になる。
もっというと、最低の環境であっても、
「やる気」があれば、
最高の結果を出すこともできる。
「やる気」。
言葉は手垢がついているが、
これほど不変に力を発揮するものもない。
どこでも、どんな状況でも、
ベストを尽くせる「やる気」を
いつも携帯する。
人生の出来事に「やる気」を
もって挑もう。
(今日のコトバ)
幸せは、「小」が「大」を兼ねる。
幸せを意識しない時が幸せな時。
誰かがいった言葉だが、
ほんとうにそう思う。
「幸せになりたい」とか、
「幸せはどこにある?」などと
いっている時は、たいがい幸せが
足りないと思っている時。
自分がいま幸せだと感じていると、
幸せという言葉を使って、
幸せを確認などしなくなる。
そう考えると、
幸せは何も大きなものではなくて、
日常にある小さなものでも、
充分機能を果たしているといえる。
幸せは、「小」で充分。
幸せは大きさではないのだ。
だからこそ、
日常にある小さな幸せを
大切にしよう。
それだけで、幸せは役を果たす。
生きるために必要な幸せは、
小さく、そして、大きいものなのだ。
(今日のコトバ)
スランプは、
夢へのハーフタイムである。
うまくいかない時がある。
成長していないのではないか。
むしろ、
後退していると感じることもある。
言葉にすると、スランプ。
ただ、スランプと感じる時は、
前向きに何かに取り組んでいる時。
意識が高くなっている。
少しずつ進化していても、
それでは納得せず、
欲深くなっている時でもある。
また、やり方に限界を感じ、
迷走している時かもしれない。
だが、スランプと感じるのは、
必ず前進しようとする時。
仮に、自分で成長していると
感じなくても、
何かが成長している。
確実にスランプの時は、
成長しているはずだ。
もし、それでもスランプを
成長と考えられないなら、
現状をリフレッシュさせるハーフタイム、
もしくは、
現状をゆっくり考えてみる
作戦タイムぐらい思えばいい。
スランプは、夢実現へのハーフタイム。
必ず次の大きな成長はやってくるのだ。
(今日のコトバ)
人脈は、
一人の世界をかけ算していく。
たった一人では何もできない。
だが、一人でも行動しなければ、
何もはじまらない。
何度も思ってきた。
その中で気づくことがある。
特に、仕事をはじめると役立つこと。
それは、人脈を持つということ。
何か困った時に
助けてくれるプロがいると、
課題は解決していく。
一人で悩んで答えが出ないことも、
あっという間に答えが出てしまう。
だからこそ、人脈は大切。
できれば、ただ知っている人脈ではなく、
同じ体験をしたことがある人脈がいい。
強い人脈になるからだ。
人生は一度きり。
生きている間にやりたいことを
やりきれた方が楽しくなる。
そのためにも人脈が必要。
人脈は、人生をかけ算し
大きく広げてくれる能力になるのだ。
(今日のコトバ)
自分を極めたら、偽物になんかならない。
誰かを目標にする。
誰かに憧れる。
誰かをお手本にする、、。
人生では、
誰かという前を走っている人を
目指して生きることがある。
はじめはそれでいい。
何も目指すものがなければ、
努力のしようがない。
だが、この世界に生まれてきたのは、
あくまでも自分という人間。
唯一無二の生きもの。
他の誰でもない
自分という生きものなのだ。
だとしたら、
自分を極めなくてはならない。
自分の長所を強化し、
自分のスタイルを確立していく。
類を見ない生きものとして
歴史をつくっていく。
その歩んだ道が自分という
無二の生きものをつくっていく。
人生は短い。
自分の長所をしっかり見極めて、
前進していく。
そして、自分としての本物になる。
自分を意識して生きることは、
人生を有意義にするために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
ほめられた言葉も、
ほめた言葉も、
長生きする。
振り返ってみると、
誰かにほめられたことは、
よく覚えている。
数が少ないからかもしれないが
記憶に留まっている。
いい気持ちにしてくれたことが
心のどこかに残ってる。
言葉として長生きだ。
もちろん、その場の雰囲気で
適当にほめられたことは、
すぐに忘れている。
ただ、ちゃんとほめられたことは
長く心に残っている。
また、自分が心の底からほめた言葉も
覚えている。
誰をほめたか。
何をほめたか。
自分の気持ちも含めて覚えている。
人間にとって、
ほめる、ほめられるということは、
心に残るキラーコンテンツ。
だとしたら、
ほめたい人、
ほめるべき人はしっかりほめる。
ほめることに経費はいらない。
ほめられることで不快になる人はいない。
心からの気持ちを言葉にすればいい。
ほめ言葉を大切にしよう。
(今日のコトバ)
恋とは、
普通の人の美しいところを
拡大して見ることのできる
季節のことである。
人を好きになってしまうと、
良いところばかりが目についてしまう。
恋する気持ちは、
好きになった
特定の人にだけかかる魔法のようだ。
良いところは拡大して見えるし、
ワルいところもかわいく見える。
恋とは、特別な時間・季節なのだ。
だとしたら、
恋する時間、恋する気持ちを
思いっきり楽しめばいい。
どれだけAIが発達しても、
どれだけスマホにコントロールされても、
恋する感情は変わらない。
時代が変わっても変わらない感情を
大切にして生きていく。
恋は、その筆頭かもしれない。
(今日のコトバ)
ココロとコトバには、
いつも誤差がある。
心が決めたことを
言葉にする。
たいがいは、
心が決めた通りに言葉を発する。
だが、ほんとうにそうだろうか。
まったく、心と言葉が一致しているだろうか。
答えは、一致しているとはいいがたい。
心の使者として発した言葉も、
意味が違ってまともに
伝わらないこともある。
あえて心を隠した言葉、
あえて心と反対の言葉、
あえて心を騙した言葉等。
言葉が心の正しい使者でないこともある。
かといって、言葉を
無視することもできない。
だからこそ、心と言葉には誤差がある、
人の言葉も、自分の言葉も誤差がある。
そう意識すると、
言葉だけで右往左往することが
少なくなる。
考えておいてもいいことだと思う。
(今日のコトバ)
「ありがとう」といえる距離に、
あなたがいてくれて「ありがとう」。
人は助けられて生きている。
どんな人でも感謝すべき人はいる。
その人にちゃんと感謝を伝えているだろうか。
「思っていても伝えていない」と
答える人も多い。
自分もそうだと思う。
ただ、感謝はいくらしてもいいものだ。
相手の人が自分のために、
何か助けてくれる。
人生の大切な時間を使って、
自分を支えてくれる。
そんな行為に対して、
感謝しないのはよくない。
礼儀もあるが、
人として感謝は伝えるべき。
もっというと、
自分のために何かをしてくれる距離に
相手の人がいてくれたことは、
ほんとうにありがたいこと。
その気持ちは、
ちゃんと態度で表す。
感謝は人としていちばん大切。
生きていく上で、
忘れてはならないものなのだ。
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