一つの目標に、多彩な才能

 

(今日のコトバ)

 

十人十色の才能を

一色でまとめ上げた組織を、

最強と呼ぶ。

 

 

目標は一つだけど、

様々な才能が

適材適所で集まっている。

そんな組織をみると羨ましい。

トップダウンでカリスマが率いる組織、

寄せ集めの組織、リストラ間近の組織等、、。

様々な組織があるが、

やっぱり目標に向かって、

人の力が一つになれる組織は強い。

なかでも、

一人一人が違った才能を持っている。

その才能がすべからく優れている。

成果を上げていく企業、

勝ち続けるスポーツチーム等、、。

組織で結果を出すためには、

多彩な才能が一つにまとまることが必須。

これから組織をつくっていくために、

一つの目標に多彩な才能を

まとめていく。

一つの考え方だと思う。

 

 

楽しみながら人生を生きる

 

(今日のコトバ)

 

人生はトーナメント戦ではない。

一回戦で負けても試合は続く。

負けても、負けても、試合は続く。

そして、一回勝てば優勝できる試合もあるんだ。

 

 

いいところでもあり、

ワルいところでもある。

人生は、一度の試合で終わらない。

勝とうが、負けようが続いていく。

勝って続いていくのはたりまえだが、

負けても終わることはない。

本当は、もう終わりにしたいと

思うこともあるし、

もう一度、チャンスがあるとも考えられる。

ただ、人生の試合は命果てるまで

終わらないなら、

前向きに考えた方がいい。

負けても、負けても、

まだチャンスがあると思えばいい。

さらにいうと、

負け続けても、

一度勝ってしまうと、

人生の勝利になることもある。

だから、人生は面白い。

そう思って、

楽しみながら人生を生きる。

少し気持ちを軽くして

生きられるはずだ。

「知ってる」から「できる」へ

 

(今日のコトバ)

 

人は知識に投資する。

そして、知識は運用されて知恵になる。

 

 

日々、学ぶことはある。

知識として頭の中で積み上がる。

ただ、知識があるだけだと、

知識がもったいない気がする。

知識があるなら、

上手に使わなければ、と。

上手に使うということは、

知恵にして自分の人生に活かすこと。

「知ってる」ではなく、「できる」にする。

人生の大切な場面で、

知識を使えるようにする。

それができるかできないかで、

人生は大きく変わってくる。

知識を知恵へにして生きる。

「知ってる」から「できる」へ。

人生のために一歩進化してみよう。

礼儀を持った言葉を使う

 

(今日のコトバ)

 

礼儀を知らない言葉は、相手にされない。

 

 

 

「幸せになりたければ、幸せな言葉を」

「成功したければ、成功する言葉を」

「勝ちたければ、勝つ言葉を」等、、。

人は願望の方向にある言葉を

前向きに使っていくと、

自然といい方向に動いていけるという。

たしかに、幸せだと思う人や

仕事のできる人は、

言葉がみな前向きな上、

いい言葉を使っている。

決して、言葉をおろそかにしていない。

さらにいえば、

自分が何かをお願いしていく時は、

礼儀のある言葉を使っている。

礼儀を持って、丁寧な言葉を使われると、

ちゃんと話しを聞く気になる。

「たかが言葉。されど言葉」

何か願望があるなら、

礼儀をもった言葉を使う。

そのことを忘れてはいけない。

心のどこかで前進している

 

(今日のコトバ)

 

後ろに下がったのは、

逃げたのではない。

壁を乗り越えるために

助走距離をとったのだ。

 

 

 

大きな困難があり、

どうにも前へ進まない。

体当たりしても、

知恵を絞っても、

成果が出ない。

後退しているようにも感じる。

そういう状態になることは

誰でもあると思う。

だが、考えてみると、

上手くいかない状況でも前へ進むために、

あらゆる努力を続けている。

何とか突破口を探している。

決して後退しているのではなく、

前へ進んでいるはずだ。

成果として見えてこないだけなのだ。

そいう状況の時は、

こう考えたらどうだろう。

壁を乗り越えるために、

助走距離をとっている。

あるいは、高く飛ぶために

深く腰を沈めている。

そう考えれば、

あせることはない。

人は、いち早くに結果が欲しい生きもの。

停滞しているようでも、

心のどこかで前進している。

そう思いながら、

何度も、何度もトライすれば、

壁は乗り越えられる。

継続していくことを忘れないことだ。

人が使ってくれる時間は命のかけら

 

(今日のコトバ)

 

あの人がくれた時間は、

あの人の命のかけらでした。

 

 

誰かが自分のために

時間を割いてくれる。

仕事だったり、趣味だったり、

ボランティアだったり、

自分をめぐる様々なことに

対応してくれる。

それは、まぎれもなく、

誰かが人生の時間を

使ってくれているということ。

誰かが対応してくれなかったら、

自分が危険な状況に陥ることもある。

少々おおげさかもしれないが、

「あの人がいて助かった」とか、

「命の恩人だよ」とかいう人は

いるはずだ。

その状況を自分ではなく、

時間を割いてくれた、

対応してくれた人と考えてみる。

そうすると、どんなことも、

人生の、もっというと命の時間を、

自分のために

割いてくれていることがわかる。

仕事のなら案件によっては、

お金の問題になるから

対応するのは当然かもしれない。

ただ、仕事の関係でもお金ではなく、

会社の人間関係の問題を

相談することもある。

趣味の世界は、

同じような思考があるから

いろいろ相談する。

ボランティアの人は、

まったくもって

手伝ってもらうばかりだ。

だが、それらすべては

誰かの貴重な時間を使っている。

命の時間、命のかけらを使っている。

だからこそ、

誰かに何かを頼む時は

リスペクトを持って、

感謝することを忘れてはいけない。

命の時間を使っていると思えば、

リスペクトも、感謝もできる。

出会う人一人一人を大切にできるはずだ。

 

支えてくれる人も含めて人間力

 

(今日のコトバ)

 

最初に去るのは人間。

最後に残るのも人間。

 

 

「どんな人間が

自分を支えてくれているか」

人生を生き抜くためには、

そこが一番大切になる。

一人できることは、

限られている。

人生を生きていこうと思った時、

どうしても人の力が必要だ。

ただ、その人の力を使える人と

使えない人がいる。

生れた時から、

ちゃんと親が育ててくれる人もいれば、

そうでない人もいる。

社会に出てからも、

世を渡っていくために、

自分以外のいろいろな人も

力が必要になる。

そこで力を貸してもらえる人と

もらえない人がいる。

人間力という言葉があるが、

自分の力だけを人間の力というのではなく、

自分を支える人も含めて、

人間力だと思ってしまうのだ。

だからこそ、

人を大事にすることが大切。

自分がいざという時に支えてくれる人。

そんな人が必ずいる人生。

それこそが、

人生を生き抜くための礎になるはずだ。

 

信頼の賜物

 

(今日のコトバ)

 

信頼とは、

自分のもとに、

いま、すぐ、人が集まってくれること。

 

 

自分への信頼とは、何んだろうと考える。

あれこれ考えてみると、

一つの答えにいきつく。

それは、自分に何か起こった時に、

人が集まってくれることではないか、と。

もちろん、信頼関係を

築いている人に限るのだが、

何かあった時に

人が集まってくれる。

はたで見ていても、

信頼のおける人には、

人が集まっている。

何か起こると、

まわりの人が心配している。

何か出来ないかと動いている。

それは、まぎれもなく、

それまで築いた信頼の賜物なのだと思う。

だからこそ、

日々の生活の中で、

信頼を築ける生き方をする。

人のために役立つことを続ける。

恩を受けたら恩で返す。

感謝を伝える。

そのことを忘れてはいけない。

 

毎日旅立ち、毎日成長

 

(今日のコトバ)

 

靴ひもを結んだということは、

もう勇気が旅立ったということ。

 

 

歩き出すということは、

何かが始まるということ。

一日でも靴を履いて、

扉を出れば、

今日の目的に向かって

行動しているということ。

もう人生は動き出している。

一日でも、一歩踏み出すことは、

人生にとって旅立ち。

帰ってくる頃には、

少しかもしれないが

新しい経験を積んでいる。

その繰り返しが、

人間を成長させていく。

毎日旅立ち。

毎日成長。

それが、人生を生きるということ。

人は、誰でもその成長を続けている。

きっと、

もっと何かができるようになっている。

その「できるかもしれない」を、

「できる」と考えて踏み出せば、

人生は面白いことになる。

人は、誰でも毎日旅立っている。

そのことを忘れてはいけない。

 

裏付けある誇り

 

(今日のコトバ)

 

一生懸命のてっぺんに、誇りがある。

 

 

 

誇りを持つ。

簡単にいうが、

本気で誇りに持てることは、

意外に少ない。

生きることは、

どこかに不安をかかえ、

どこかに自信がなかったりする。

「誇りは?」と問われて、

いつも同じ答えができる人は、

まれだと思う。

では、どんな時に誇りを持てるか。

それは、青臭い言い方かもしれないが、

一生懸命取り組めた時、

全力を尽くした時、

誇りは持てると思う。

その上、結果がついてくれば最高だが、

仮に結果がついてこなくても、

一生懸命やりきったと思えれば

誇りを持てる。

人生、誇りばかりでは鼻につくし、

疑問も生じる。

ただ、自分の力を出しきったら、

誇りは持っていい。

人生を誇りが支えることもある。

そのために、一生懸命という

裏付けのある誇りは大切なのだ。