幸せをつくるために

 

 

 

(今日のコトバ)

 

幸せは、後始末まであたたかい。

 

 

漠然としたものだが、

幸せというものを感じる時がある。

きっかけは、夢が叶ったり、

新しい生命が誕生したり、恋が成就したり、

成功を収めたり、勝利を手にしたり、

さまざま要因がある。

その結果があるから、幸せを感じる。

ただ、この幸せは、

その結果を出した直後だけでなく、

その途中の経過も、そして、

結果を出した後も、記憶となって、

人を幸せにしてくれる。

一つの素晴らしい結果は、

人生の時間を幸せで包んでくれる。

長く生きていれば、

誰でもわかっていることかもしれない。

だが、人は忘れやすい生き物でもある。

幸せの時間をつくれることを知りながら、

まったく違う行動を起こしてしまうことがある。

一つは不幸な方向へ走り出すこと。

罪を犯したり、社会のルールを逸脱したり、

あきらかに道を踏み外すこと。

もう一つは、なまけること。

何かに挑戦していくことを放棄して、

前向きにならない生き方をする。

そうなると、幸せをつくることは難しい。

もちろん、幸せを感じたいと

思っていない人もいるだろう。

そういう人は別として、

幸せになりたい人は、

なりたい自分の理想を描いて、

そこに向かって前進する。

言葉にすると、目標。

目標に向かって前進することは、

イコール幸せをつくること。

そのことを忘れてはならない。

 

サービス精神が差になる

 

(今日のコトバ)

 

サービス精神大盛無料でいく。

 

 

 

 

人間の能力にそれほど差がないと仮定すると、

何が人生の差になるか考えてみた。

才能、センス、努力、器用、おしゃべり、勇気等、、、。

どれも大切なフィルターだと思う。

ただ、その中で図抜けて

人生の差をつける能力がある。

それは、サービス精神。

何か出来事があって、人のために何かをしようと

考えて動く人は評価があがる。

驚かせよう、楽しませようと思って、

積極的に行動する人は人気が出る。

最初は、人に喜んでもらおうとした

サービス精神だったはずが、

結果、自分の評価につながり、

自分の人生を有意義にする。

まわりの人を見ていると、

サービス精神旺盛な人は、

間違いなく人生が自分の思う方向へ、

いい方向へ進んでいく。

人生の差を考えると、

このサービス精神が差に

なっている気がしてならない。

このサービス精神は、

もちろん、生まれつき旺盛な人もいるだろう。

だが、後天的に意識して、

サービスすることは誰にでもできる。

人のために、というよりは、

人の喜ぶために、率先して行動する。

人が喜んでくれたら、

自分にとっても嬉しいこと。

そう思って生きていけると、

人生は有意義な方へ進んでいく。

結果、人生の差になっていく。

特に、幸せという領域で大きな差ができる気がする。

サービス精神は、

人を喜ばせる気持ちだが、

すべては自分に還ってくる。

生きていく上で、

大切な気持ちなのだ。

 

夢や希望にトライする幸せ

 

(今日のコトバ)

 

夢と希望がどれだけ人生を向上させるか、

わかっている人は、絶対、努力をやめようとしない。

 

 

 

 

夢も希望もすべては叶うわけではない。

夢破れ、希望叶わずということは人生において、

多々あることだ。

ただ、それでも、夢や希望をあきらめない、

何度でトライする人がいる。

なぜだろう。

それは、夢や希望がどれだけ人生を向上させるか、

さらに、人生を幸せにするかを知っているからに

他ならない。

まず、夢や希望を見るだけでも気持ちは良くなる。

その良くなった気持ちの上で、

トライする行程は、それはそれで幸せを感じるし、

楽しいものだったりする。

もちろん、辛い、苦しい事もある。

それでも、達成へ向けて

日々前進していく自分の成長は、

人生を有意義なものにする。

その上、夢や希望を実現すれば、

これほど人生において格別なものはないだろう。

この体験をした者は、何度でも、

やみつきになって夢や希望にトライしていく。

また、夢や希望に破れて、

途方に暮れることもある。

悔しさや腹立たしさが生まれる。

それでさえも、

トライしなければ良かったかというと、

トライした方が良かったと思う人が

多いと思う。

もっというと、

夢や希望がなかった方が良かったという人は、

ほぼいないのではないか。

そう思うと、どんな状況でも

夢や希望をもって生きることは、

自分の人生を向上させる、

幸せにする最高のテーマになる。

そのことを忘れてはいけないと思う。

 

 

集中に最適な環境

 

 

(今日のコトバ)

 

人は、追いつめられて超人になる。

 

 

 

「締め切りに神が降りる」という

言葉を先輩から聞いたことがある。

締め切りギリギリになると、

想像もしなかった力で、

文章がかけるようになる。

余裕があって、時間がある時は、

全然書けなかったのが、

締め切り間際になると、

猛烈な勢いで書けるようになる。

それは、自分においても、

同じことがいえる。

余裕がある時に、

しっかりやっておけば簡単に済んだ話を、

ギリギリまで寝かせておいたため、

最後は徹夜になってしまう。

ただ、徹夜での作業は、

ものすごいスピードで作業がはかどる。

きっと、誰にでもいえることかもしれない。

締め切りに追いつめられると、

余計なことを考えなくなり、

集中力が増してくる。

そこで、作業をすると、

自分が天才になったかのような力を発揮し出す。

そう考えると、

追いつめられた状況をつくるのもわるくない。

集中力という一点で考えると、

追い込まれて、他のことが考えられないという

状況が、集中に最適の環境をつくる。

後は、締め切りまでに何とかする。

そのことだけ考えればいいとなると、

自分の能力が最大限に発揮される。

ほんとうは、余裕をもって、計画的に、

予定を消化していく方がいい。

だが、自分の力を最大MAXにするなら、

締め切り間際の追いつめられた状況をつくるのも

一つの方法なのだ。

潜在能力を能力に変えて

 

 

(今日のコトバ)

 

眠っている未知を起こすために、

夢が必要なんだ。

 

 

 

潜在能力が眠っている。

どれぐらい能力があるのか、

どれぐらい埋蔵量があるのかわからない。

ただ、自分の得意なものを見つけた時、

自分の好きなものと出会った時等、

無限に能力があるような気がする。

気がするだけではなく、

実際に、結果としてあらわれてくる。

自分の得意なものと出会うと、

途轍もない能力を発揮する場合もある。

では、自分の得意なものはどこで覚醒するのか。

それは、まぎれもなくなく夢を見つけた時。

自然発生的に自分の中に生まれた夢は、

自分の得意なもの、

自分の好きなものの延長戦にあることが多い。

だとすると、夢を見つけると同時に、

自分の能力が開花する可能性が広がる。

もちろん、夢と能力のギャップがあり過ぎて

まったく自分の力が発揮できない人もいる。

その人は、まわりで見ていても、

夢の設定に無理があり過ぎる人。

もっというと、自分の能力、

自分の足元を見ずに

背伸びしている人のような気がする。

そうなると話は難しくなるが、

自分の潜在能力を活かすためには、

自分の得意なもの、自分の好きなものから

生まれた夢に向かって前進することにある。

そこが間違っていなければ、

自分の潜在能力を能力に変えて、

発揮できる時がくる。

そのことを忘れてはいけない。

生きていくために深呼吸

 

 

 

(今日のコトバ)

 

人間は、呼吸はしても、

案外、深呼吸はしないものだ。

 

 

 

毎日、生き続けると、息苦しい日もある。

爽やかな気分になれない日だってある。

今日の東京のように、

雨が降ったりやんだりしていると、

なんとなくだるくなることもある。

人間は、生き物だ。

毎日、機械のように同じ力で、

同じようにで動くことはできない。

ただ、社会は、一定のルールの中で、

同じ動きを求めてくる。

時に、社会の要求通りに応えられなくなり、

疲れた気持ちに追い込まれることもある。

その時は、もう一度、思い出そう。

人間は、生き物なのだ、と。

機械ではないので、同じ動きができない日もある。

そういう日もあることを受け入れる。

他人ではなく、まず、自分が受け入れる。

そして、深呼吸をして、

自分をリフレッシュしてみる。

少し疲れたぐらいなら、少し休めばいい。

自分のペースを意識して生きていく。

自分を壊さないために大切なことだ。

 

あせらず、誠実に、愚直に

 

(今日のコトバ)

 

人生は、すべて未経験者可からはじまる。

 

 

 

 

はじめは、誰もが未経験者。

完璧にできるわけもなく、

先生に、先輩に、トレーナーに、

技を教わらなくてはできるようにはならない。

複雑で習得まで時間がかかるものもあれば、

簡単で見よう見まねでできるものもある。

ただ、はじめは、何もできない。

そう考えると、

何もあせって、

できたフリをする必要などないことが

たくさんあることに気づく。

大人になればなるほど、

できるフリをするようになる。

なぜ、そうなるのか。

バカにされないためか。

カッコつけたいためか。

文字通り、大人として扱われたいためか。

様々な要素があると思う。

だが、はじめはみな未経験者だったのだ。

そこからスタートすると思えば、

何もあせることはない。

ゆっくり、じっくり覚えていけばいい。

もちろん、習いはじめて時間が経って、

「まだ、できないのか」といわれることもある。

それでも、誠実に、コツコツと習得すればいい。

習得には個人差がある。

早くできたからといって、

それだけで達人になれるわけでもない。

覚えるの遅くても、結果、プロとして、

最高のポジションにつく人もいる。

肝心なのは、あせらず、誠実に、愚直に、

習得していくこと。

それさえできれば、怖いものはない。

そのことを忘れてはいけない。

 

平常心を貫く

 

 

(今日のコトバ)

 

平凡を持って生きる人間を、

追い抜くことはできない。

 

 

 

成り上がりで成功者と呼ばれる人がいる。

勝ち続けて無敵と呼ばれる人がいる。

出世街道を驀進する人がいる。

誰もがマネできるものではないし、

凄い能力の持ち主だと思う。

ただ、成功し続ける人も、勝ち続ける人も、

上への階段が登れなくなる。

階段を落ちるしかなくなる。

その時、平常心で、あるいは、

普通の気持ちで生きていけるだろうか。

知っている限りでいうと、

平常心ではいられなくなる人が多い。

成功していた人が失敗しはじめると、

まるで別人のような振る舞いになる人がいる。

勝ち続けていた人が負け始めると、

急激にチキンなハートが顔を出す人がいる。

気持ちを考えるとあたりまえかもしれない。

ただ、こんな人もいる。

成功しようと失敗しようと、

勝とうと負けようと、

まるでペースの変わらない人。

常日頃の出来事すべてをのみこんで、

平気でいられる人。

人生を見渡すと、

一人位は出会ったことがあるはずだ。

こういう人に出会うと、

本当の勝者のような気がしてしまう。

心の中では動揺があるかもしれない。

ただ、その動揺は人に見せることはない。

平常心を貫く。

マイペースで生きる。

ほんとうに勝てない人とは、

実は、こんな人かもしれない。

人生は、結局、一喜一憂して、

自分のペースが狂った人の負け。

そうならない平常心を持てるかが勝負なのだ。

自分を信じて判断する

 

(今日のコトバ)

 

背中を押してくれる人がいるから、勇気がわく。

背中を止めてくれる人がいるから、理性をもつ。

 

 

 

人生は選択の連続だ。

右へ行くか、左へ行くか。

前進するか、後退するか。

最終的判断は、自分だ。

だが、判断をする時に、

すべてが自分だけで決めているかというと、

そうでもない。

世の中の意見、成功者のサクセスストーリー、

知人のアドバイス等、

様々な要素を取り入れながら判断する。

時に、背中を押してくれる力がある。

時に、背中を止めてくれる力がある。

どの力を選択するかは、自分次第。

ただ、判断する時は、

ほぼ自分の中で、答えは出ている。

「自分はこうたい」

「自分はこうするんだ」

と決めて、判断する材料を集めている。

そう考えると、

常に選択は自分でできている。

その選択した判断で安心したいために、

まわりの要素を調べているだけなのだ。

いま、判断力に乏しいと思っている人は、

一度、自分の思考を見直してみるといい。

判断ができないでいるが、

それが本当に判断していないのか。

案外、判断の答えは出ていて、

その判断が正解であるための確率を

上げようとしているだけではないか。

だとしたら、でている答えを判断して、

邁進すればいい。

正しいと思った判断を突き詰める。

正しければそれでいいし、

正しくなれば修正すればいい。

人生なんて、修正の連続。

今日の正解が、明日の不正解もある。

まずは、自分の判断を信じ前進するのだ。

 

 

夢は発表する

 

(今日のコトバ)

 

夢が威風堂々と行進する人生を。

 

 

 

夢はこそこそ描くものではない。

大胆に、自由に、自分のやりたいものを描く。

声に出して語ってもいい。

夢という人生の壮大な事業は、

発表しながら達成に向かって前進するもの。

だが、まわりの人のことを意識すると、

夢を心に秘めて語らなかったり、

人の前では隠したりする。

そうなると、他人から見れば、

何を目指しているいるのかわからない人になる。

優れたビジョンの夢を描いていても、

理解されることは難しくなる。

だとしたら、

夢を明快に語って、実現に向けて前進する。

まわりからも、自分の夢を理解してもらう。

理解させれば、その夢に賛同して、

一緒に走り出す人がいるかもしれない。

サポートしたり、アドバイスをくれる人が

いるかもしれない。

少なくとも、夢に興味を示して、

いろいろな機会が増えるだろう。

そうなると、夢実現へ加速することにもなる。

夢実現への道がはっきりしてくることにもなる。

仮に、夢が実現しなくても夢なのだ。

挑戦で終わってもいいではないか。

だからこそ、

夢ははっきりと自分で示す。

自分が実現したい夢を発表する。

実現の可能性は膨らむし、

デメリットはあまりないと思う。

夢を堂々させて、

人生と共に前進させればいいのだ。