いい人も人間

 

 

(今日のコトバ)

 

いい人が仮面を脱ぐと、

わるい人ではなく、

いやな人になる。

 

 

 

自分が生活しているまわりに、

必ず一人はいる、いい人。

日頃、笑顔が多く、

怒ったりせず、なんでも話を訊いてくれる。

頼みごともしやすい。

もっというと、面倒くさいことも

お願いしやすい人。

いてくれると、非常に助かる人。

まわりの人から、いい人といわれる。

ただ、そんないい人も、

基本的にはおだやかなのだが、

どこかでスイッチが入って、

キレる人がいる。

普段、キレないだけに、

破壊力抜群。

その時思うのが、

いい人がキレると、

わるい人になるのではなく、

いやな人になってしまうこと。

たぶん、いい人は、仮面の部分があって、

自分の気持ちの中で処理していることが多い。

その処理機能が働かなくなるぐらいキレると、

「いままで、そんなこと思っていたのか」

というぐらい、いやな気持を吐露する。

みんなが安心していい人だと思っていたけれど、

実は、ドロドロなことを考えていたんだと知る。

そうなると、普段、付き合っている人々は、

付き合い方を考え直さなければと思う。

それがいけないということではない。

ただ、ギャップも含めて、

いい人は、キレると、評価が一変する。

人としては、あたりまえのことなのだが、

いやな部分が見えると、

いやな人になってしまう。

いい人も人間だ。

いい人がキレると、

そんなことを感じてしまうのだ。

小さな目標をクリアしていく

 

 

(今日のコトバ)

 

小さな夢を叶えながら、

大きな夢へ立ち向かうのだ。

 

 

 

夢を叶えたい。

それも大きな夢を。

そう思うと、いきなり力んで、

いきなり無理をして、

いきなりむやみやたらに全力を尽くす。

人によっては、途方もない冒険のように、

チャレンジする人もいるだろう。

ただ、この戦い方は、

リスクが多すぎる。

ムダな力を、膨大に

発揮しなければならないことにもなる。

さらにいうと、いきなりのチャレンジすると、

自ら途轍もない壁を

つくってしまうことにもなりかねない。

そうなると、夢を叶えるどころか、

夢からどんどん遠ざかってしまう。

あまりにも遠ざかると、

チャレンジしよう、

叶えようという気持ちが薄れ、

夢実現への道程が見えなくなるばかりだ。

だとすれば、もう一つの方法で攻めてもいい。

夢を叶えるために、

小さな目標をつくる。

クリアできる目標をつくり続ける。

一つ一つをクリアするのは、

なんとかできる。

そして、クリアを繰り返した先で、

夢を叶えるという方法。

目標を段階的に上げて、

クリアしていく。

一気に叶うことはないが、

着実に夢実現へ近づく。

人は、進歩が見えないと途方に暮れる生き物。

着実に夢を叶えていきたいなら、

小さな目標をクリアしつつ、

大きな夢を叶えていく。

それも有効な方法だ。

 

勇気は本気の現れ

 

(今日のコトバ)

 

勇気を根こそぎ抜いて、

本気にまとめて、人生に植えるのだ。

 

 

 

どうしても勇気を出さなければ

ならない時とは、どういう時だろう。

考えてみると、その時は、

本気にならなければならない時と一致する。

つまり、あらゆる意味で人生の勝負がかかった時。

「本気にならなければいけない。

そのために、勇気を出さなければならない」

という状況にあるはずだ。

となれば、中途半端な勇気では、

人生の勝負にならない。

中途半端な本気も、

本気の意味をなさない。

そう思うと、

いざ勝負になったら、

勇気を全力で出す。

小出しの勇気ではなく、

もっている力をすべて振り絞って、

勇気を出す。

その勇気が本気の魂になる。

人生には、

どうしても勝負しなければならない時がある。

その時、勇気は本気の現れだと思うと、

もう一歩勇気が出せる。

そんな気がしてならない。

あきらめず、やり抜く

 

(今日のコトバ)

 

逆境という秘境を抜けると、

人生の風景は美しくなる。

 

 

 

 

自分が考えている、

自分が行動していることが、

大勢ではない。

たった一人、もしくは、

少数派、反体制派である時、

その戦いは厳しいものになる。

まっすぐ前進したいのだが、

様々な抵抗にあう。

それが、正しい戦いと認められていないので、

はじめは味方がいないかもしない。

逆境とは、しんどいものだ。

ただ、正しいと思っている、

人々のためになると思っているなら、

自分の考えはあきらめるなくていい。

苦しくても前進しいていい。

ほんとうに正しい行動なら

だんだんまわりが認めはじめる。

また、最初は敵ばかりだと思った場所に、

一人二人と味方が集まってくれることもある。

時間がかかるかもしれない。

辛いことがたくさんあるかもしれない。

それでも、自分の道を信じていく。

あきらめない力が人生を、

素晴らしい場所に導いていく。

正しいことを、あきらめず、やり抜く。

大切なことだ。

 

誰かではなく、自分

 

 

(今日のコトバ)

 

始発は、自発的に。

 

 

 

 

何かを始める時、

誰かにいわれたからやるのではなく、

自分の気持ちとして始める。

自分以外の誰かでスタートをきるか、

自分でスタートをきるかで、

人生は大きな差がついてしまう。

まず、やる気が違う。

モチベーションが上がれば、

スタートからダッシュできるかもしれない。

また、イヤイヤというよりは

ワクワクした気持ちで挑める。

仮に、うまくいかなくても、

自分のやっていることだから

納得できる。

誰かにやらされていると、

誰かのせいにしてしまう。

さらに、ここが一番肝心なのだが、

誰かにいわれて始めるのは、

その段階で時間の制限が加わる場合が多い。

自分でスタートすれば、

やりたい時から始めているので、

時間がある程度確保できる。

反対に、誰かやらされていると、

スタートの段階で躊躇しているから、

遅いスタートになる。

つまり、やる気になるまで時間がかかる。

結果、人生の時間が足りなくなる場合もある。

「時間が足りない」

実は、この時間がないということが、

人生においての差になっていく。

自分がやりたいことをまっしぐらにできれば、

集中力も高まるし、無駄なこともしない。

そもそもモチベーションが高いから

気持ちも前向きになる。

だからこそ、

なるべく人生の選択は、

自分のやりたいものを選択する。

誰かではなく、自分。

そのことを優先してくと、

人生は面白いものなっていくはずだ。

 

 

 

青春の夢は人生で一番大きい

 

 

(今日のコトバ)

 

青春は、人生を散らかせ。

 

 

 

人生で一番旬の季節、

それは、青春の時間かもしれない。

まだ、世の中の仕組みがわからないから、

はみ出すことを怖れない。

無限と思えるエネルギーがわいて、

何でもできる気がする。

鳥のように翼をもち、

どこまでも飛んで行けると思う。

同じ夢でも、青春の夢は、

人生で一番大きい。

できると思うことが、

人生で一番多い時でもある。

その人生の最高の時間を、

思いっきり使わない手はない。

やれると思うことは、

とにかくやってしまう。

判断は、やってしまってからでもいい。

青春は、人生の時間の中で、

一番何でもできる時間。

もっといえば、一番貴重な時間でもある。

自分の可能性を信じて、

自分の未来を信じて、

全力で生きる。

当たって砕けろ!

それぐらいの気持ちでいい。

そして、当たって砕けはしない。

当たって、もっと強くなる。

青春は、そんな季節だ。

 

そばにいること

 

(今日のコトバ)

 

声の届く距離に、大切なあの人を。

 

 

 

 

何か大切なことを伝えたい時に、

そばにいてくれないと、

なかなかうまくコミュニケーションはとれない。

いくらメールを打っても、

言葉は完璧ではない。

言葉足らずもあれば、

誤解をよぶ言葉もある。

いくら電話で話しても、

電話の向こうで怒っているのか、

焦っているのか、はたまた、笑っているのか、

表情がわからなければ、

本気度は伝わらない。

もちろん、相手の顔を見ながら

電話もできるが、

それでも体温は伝わらない。

どれだけコミュニケーションツールが

発達しても、

正しい状況を判断しようと思ったら、

そばにいて、フェイス・トゥ・フェイスで

話すことが一番だ。

特に、緊急な場合や、シリアスな問題を

かかえた時は、絶対に、

その現場にいなければわからないことがある。

もちろん、顔を見て話しても

嘘をつかれて騙されることはある。

いちいち顔を突き合わせて話すのが

面倒くさいこともある。

だが、それでも、そばにいて状況を判断する。

それがいちばんいいコミュニケーションに

なることは間違いない。

人と人の付き合いが希薄になってきた

時代だからこそ、

そばいることはより大切になってきている。

そのことを頭の隅に覚えておくべだ。

 

 

 

 

反応こそが未来の扉

 

 

(今日のコトバ)

 

未来を挑発して振り向かせろ。

 

 

 

アクションを起こす。

何でもいい。とにかく、動き出してみる。

そこに、反応が起きる。

人と人。人とモノ。人と時代、、、。

人を自分に置き換えると、

自分にかかわるすべてに反応が起こる。

その反応こそが未来の扉なのだと思う。

何かをはじめると何かが動く。

動いたもの先で、また何かが動く。

自分がアクションを起こすからこそ、

様々なものがつながっていく。

つまり、アクションを起こすことが

未来を見つけ、反応し、つながりをつくる。

たった、一つのこと。

アクションを起こすことだけでいい。

未来が見えなかったり、

未来に不安をもっていたり、

未来が怖かったりするなら、

まず、アクションを起こせ。

そこに未来が自分のものになるきっかけがある。

 

 

本日、今日のコトバ5,000本達成

 

 

2004年からスタートした

コトバザウルス(今日のコトバ)が本日で

5,000本を達成しました。

当初は、1,000本を目標に、

できるだけ毎日更新しようと

考えていましたが、

なんとか一日も休まず5,000日分、

アップすることができました。

その間、学生の時、読んでくれていた方が

いまや30歳代になり、

社会の中枢を担うビジネスマンに成長され、

進化の後をメールで連絡してくれる。

40歳代の方が50歳代を迎え、

定年を考える年齢になったり、

コトバの深い部分を考えてくれるようになる。

時代の変化と共に、

皆さんも、そして自分も、

大きく変わったと思います。

ただ、ここでは、

一貫して、元気になるコトバを

書いていこうと思っています。

これからも、6,000、7,000、、、、10,000本目指して

書いていきます。

もし、良かったらアクセスしてみてください。

コトバザウルスは続きます。

宜しくお願いいたします。

 

いつも希望がある

 

 

 

(今日のコトバ)

 

人は、永遠に希望の追っかけである。

 

 

いつでも、いくつになっても、

人は希望をもっている。

それが大きい希望もあれば、

小さい希望もある。

希望を口にして、

誰にでもわかるように願う人。

反対に、誰にもいわないが、

密かに希望を願う人。

タイプはあれど、みんな希望をもっている。

人は、この希望をもつことが好きだ。

もっといえば、希望をもって生きることが好きだ。

生きるための必須アイテムともいえる。

そして、この希望が失われていくのと、

自分が追い込まれていくのが、案外、比例している。

希望がなくなると、人生、辛くなっていく。

だからこそ、いつも希望を追いかけて

生きていきたいと思うのだ。

人生、山あり谷あり。

試練の日々あり。

喜劇もあれば、悲劇もある。

喜怒哀楽はぐるぐる巡る。

つまらない、退屈な日があれば、

しんどく、苦しい日もあり、

楽しく、笑える日が待っている。

そのどんな人生の日々にも、

希望は自分の前を走っている。

そう思うだけで、ときめく。

もっともっとがんばろうと思うことができる。

いつでも、いくつになっても、

人は希望を追いかけている。

そして、希望があるから、

人は未来まで行ってみようと思う。

そのことを忘れてはいけない。