現在進行形が生きている

(今日のコトバ)

 

栄光は、過去形では輝きが鈍る。

現在進行形でこそ輝きを放つのだ。

 

 

 

 

武勇伝を話す人がいる。

凄い事だと思うのだが、

あまりにも過去の武勇伝ばかりだと、

引いてしまうことがある。

第三者から訊くならまだしも、

本人から訊くと、

どこか信憑性なく感じることもある。

もっというと、

その人がいま、

武勇伝を築いている人なら、

まだ話を素直に訊くこともできる。

だが、

武勇伝が遠い過去の話だと、

それこそ話半分にしか訊けなくなる。

栄光の歴史を語る人も同じ。

遠い昔の栄光を語られても、

「いま、どうなの」

という気持ちがつきまとう。

老人になって、

これから栄光でもないだろう

という人は別として、

現役の人が、

過去の話ばかりするのは、

どうもいただけない。

どうしても、

「それって、いまがいけてないんじゃない」

と思ってしまうのだ。

では、素直に栄光の話を訊ける時とは、

どんな時だろうか。

それは、現在進行形で結果を出している時。

いまも、

まわりの人が納得する結果を出しているか、

活躍している姿をしっかり見せている時は、

こちらも素直に話が訊ける。

少々、話を盛っても、

ちゃんと訊いてしまう。

それは、現在進行形が生きているからに

他ならない。

栄光なんておこがましいが、

自分で振り返っても、

自分の良かった過去の話をしている時は、

自分がいけてない時の気がする。

「いま話せることがないから、

過去の話をしている」に過ぎない。

だからこそ、

栄光の話、武勇伝を話す時は

気をつけるべきだ、

「いまがどうなの?」と。

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