そこまでもを、どこまでも

 

(今日のコトバ)

 

「それだけか?」といわれて、

信頼を失う。

「そこまでも!」といわれて、

信頼を生む。

 

 

 

信頼が生まれる時って、

どんな時だろう。

それは、「そこまでもしてくれる!」と

思った時ではないだろうか。

自分の想像を超えて良くやってくれる。

かゆい所に手が届くほど、

何かをしてくれる。

とにかく、自分が思うより

何かをしてくれると、

信頼は生まれる。

反対に、信頼を失う時って、

どんな時だろう。

それは、「それだけしかしないの?」と

思った時、一気に信頼を失う。

これぐらいはやって欲しいと思ったことの

これぐらいに達しないと、

信頼の気持ちは失ってしまう。

ただそれだけのことかもしれない。

だが、それだけのことで、

信頼は生まれ、信頼は失われる。

そう考えると、

一つの頼み事、一つの頼まれ事は、

信頼を得るチャンス。

力を抜かず「そこまでも」をやれば、

信頼が得られる。

人生の大きなチャンスなのだ。

憎むという感情は、熱くなった敗北感

 

(今日のコトバ)

 

憎んでいる間は、敗北に支配されている。

 

 

 

人を憎んでいる時、

嫌な感情が自分を支配する。

嫌な感情をもって

憎むというのであれば、

そうかもしれない。

だが、どうもそれとも違う気持ちが

湧き上がる。

何かと似ているこの感情。

それは、敗北した時の気持ちに

似ている気がする。

敗北した時の屈辱感が、

より熱くなっている。

熱くなっているといっても、

敗北感には変わりない。

どこかに負けた気持ちがある。

その気持ちに支配されている。

より熱く支配されている。

自分の気持ちがいいわけがない。

荒んだ気分になってしまう。

だからこそ、

少し強引だが、

憎むという感情が起こったら、

自分は敗北感を感じていると

決めてしまう。

そう思えば、

なるべく早く敗北感から

逃れたいと思うはず。

この感情のままでは

いけないと思うはず。

憎むという感情は、

熱くなった敗北感。

そう思うことで、

憎むという感情を

自分の心から追放するのだ。

それでも人生は続いていく

 

(今日のコトバ)

 

人生のレースは、勝利も、敗北も、

成功も、失敗も、途中経過。

時間が経過するとまた、

集団の中でレースは続いている。

 

 

 

 

勝利も、

敗北も、

その一瞬を過ぎれば、

また新しい戦いが始まる。

サッカーワールドカップを見てわかるように、

勝ったチームは、

勝ち抜かなければならない戦いに

挑み続けなければならない。

負けたチームは、

チームを立て直し、

勝てるチームに変えようと

新しい体制を模索する。

サッカーだけではない、

人生も同じこと。

勝利も、敗北も、

そして、成功も、失敗も、

一瞬の出来事。

どんな出来事が起こっても、

人生は続いていく。

だからこそ、しんどい。

だからこそ、面白い。

忘れていけないのは、

いまの状況は、すべて途中経過。

この先状況は変わっていく。

人生のレースは

命果てるまで続いていくのだ。

 

 

プロフェッショナルと認定できるもの

 

(今日のコトバ)

 

人は舞台を見て称賛する。

決して、舞台裏を見て称賛することはない。

 

 

 

出来上がったもので人は評価する。

過程が良かろうが、

困難な作業であろうが関係ない。

ただ、人は難問をかかえて、

出来上がりの納期や品質が

保証できなくなると、

何かといい訳をしたがる。

「なんとかレベルを下げて

許してくれないか」と。

ただ、何とか

許してもらえるレベルのものしか

できないのであれば、

それはアマチュアの領域。

楽しければ何でもいい。

出来ようが、出来まいが関係ない。

とすると、

その反対がプロフェッショナルの領域。

出来上がりの納期を守り、

品質を約束する。

その一線を引けるか、引けないか。

自分の大切なもの、

特に仕事において、

出来上がりを担保できるか。

出来るものを自分の

プロフェッショナルに認定しよう。

そして、そのプロフェッショナルの力が

自分の人生をしっかり支えていく。

そのことを忘れてはならない。

 

現在を素晴らしいものにする

 

(今日のコトバ)

 

未来を想像するのは楽しい。

過去を振り返るのは美しい。

後は、現在を素晴らしくするだけだ。

 

 

 

夢や希望のために、

未来を想像するのは楽しい。

こんなことがしたい、

あんなことがしたい、

これができればいい、

あれができればいい等々。

人は想像力を働かせて、

未来を楽しんでいる。

過去は振り返るたびに、

美しい想い出がよぎる。

こんなこともあった、

あんなこともあった、

いいことがあった、

いやなこともあったけど、

過去になれば美しい想い出になる。

未来も、過去も、

考え方一つで

いいものにすることはできる。

残るのは現在だ。

現在が難しい。

かかえている問題は、

すべて現在の領域になる。

楽しい、美しいばかりではいられない。

辛さも、苦しさも、現実問題だ。

ただ、この現在を、

この現実をどう受け止めて、

素晴らしいものにするかが、

生きるということかもしれない。

未来や過去のように、

実態がないものではない。

実態があるからこそ痛みもある。

この痛みを素晴らしいものに変えていく。

意識することもあるだろう。

切磋琢磨することもあるだろう。

限界への挑戦もあるだろう。

ただ、できることは

やるべきことをやって

スッキリした気持ちになるよう生きる。

大変さはあるとしても充実するよう生きる。

そう思えれば、

現在は素晴らしいものといっていい。

できる限り、やるべきことをやって、

現在を素晴らしいものにする。

それが、現在を生きる醍醐味だ。

肯定的に幸せが宿る

 

(今日のコトバ)

 

肯定し続けた人の幸せの数は、

否定し続けた人の幸せの数を

圧倒的に超えている。

 

 

 

 

ものごとを前向きに捉えて、

すぐに行動を起こす人がいる。

後先を考えないので、

とちることもあるが、

前向きに行動した結果、

それほどワルい思いをしていない。

むしろ、最初にはじめたことや

やる気があらわれていることによって、

相手に喜ばれて、

その後の作業が

順調に進んでいくことも多い。

反対に、なんでも後ろ向きというか、

ネガティブだと、

行動を起こすまで時間がかかるし、

場の雰囲気もワルくする。

結果、相手を気持ちよくしないし、

自分もいい思いはできないでいる。

すべてがすべてではないが、

まわりにいる人は

たいがいこのケースが多い。

つまり肯定的に生きている人は、

否定的に生きている人より、

いい思いをしている確率は

高いと感じる。

そう思うと、

肯定的に人生を生きていい。

ひとつでも幸せの数が多い人生が

楽しいと思わないか。

どんな人間にも好機

 

(今日のコトバ)

 

人間はみんな不良品なのに、

世の中は、

ちゃんと売れる場所をつくってくれる。

 

 

 

 

非の打ち所がない人とか、

完璧な人とか、

いわれる人はいるが、

何十年生きてみても、

どこにも欠点がない人とは

出会ったことがない。

才能100点、知力100点、

体力100点、走力100点、

人柄100点、優しさ100点、

行動力100点、解決力100点、、、。

何が100点かはさておき、

ここにあげただけでも、

すべてにおいて高得点の人を知らない。

ということは、

人間はどこか欠けてできている。

もしかすると、

神様がわざと欠けてつくって、

そこを補うことで、

人間を成長させようと

したのかもしれない。

極端にいえば、

人間はみんな不良品ともいえる。

その不良品でも、

なんとか生きられる。

否、素晴らしい人生を

歩むこともできる。

そう思うと人間は恵まれている。

そして、どんな人間にも

好機があると思える。

世の中、

人間にとって捨てたもんじゃないのだ。

 

 

ストレスを発散しながら生きる

 

(今日のコトバ)

 

不健康をするから、

精神が健康になることもあるのだ。

 

 

 

現代はストレス社会。

人と人の間に生まれる

ストレスはもちろん、

人と社会の間にもストレスが増えてきた。

自分の情報が端末に管理されて、

高速で処理しなければいけないもの。

情報を伝えるための大量の作業。

新しいテクノロジーの習得、、、、。

情報管理社会になったからこそ、

自分の管理がしんどくなる。

そこで、心と体のバランスをとるのも

難しい問題になる。

どこかでストレスを発散しなければ、

自分が行き詰ってしまう。

行き詰らないために、

ガス抜きができる状況も必要だ。

その時、健康を維持するためには

よくないこと、つまり、

不健康なことも有効な手段になる。

その不健康なことも、

自分に許してあげる。

ある医者がいっていた。

「本来はお酒は良くないけど、

ガマンするストレスをかかえるなら、

適度に飲むことをすすめる」と。

お酒だけではない。

体に良くないことも、

体を壊さない程度にやる。

散財することも、

罪にならない程度にやる。

ストレスをガマンしてばかりでは、

いつか自分がつぶれてしまう。

もっというと、

ストレスを抱え過ぎていては、

ほんとうにいい仕事はできない。

この社会で生きるために

ガマンは必要だが、

そこで生まれたストレスを

解消することも、

それ以上に大切。

そのことを忘れずに

生活のペースをつくろう。

心配ない状況をつくろう

 

(今日のコトバ)

 

希望が持てる心でいろ。

欲望が持てる体でいろ。

 

 

 

 

健康であることが一番大切。

そんなことは、わかっているが、

健康が人生に及ぼす影響は

あまりにも大きい。

人生の楽しいものを

楽しいと感じるには、

何をおいても健康であること。

夢、希望、恋愛、欲望、野望、、、、。

人生で達成したい目標がある時は、

健康であった方がいい。

もちろん、完璧な健康な人などいない。

ただ、日々暮らす上で、

何も心配ない心と体をつくる努力をする。

病気や問題は早期発見、早期治療に限る。

おかしいものを放置にしないで、

すぐに治す。

人生を楽しくするために大切なことだ。

どの道にも正解が待っている

 

(今日のコトバ)

 

道に迷ってもいい。

だが心配するな、

どの道にも正解はある。

 

 

 

 

運命のわかれ道とか、

この道を選んで正解だったとか、

人は時々いう。

ある人は「この道であの人に出会ったから、

いまの自分がある」という。

たしかに、

自分の思いとしては間違っていない。

「この道を選らばなければ、

あの人に会えなかった」のだ。

だが、長い人生を生きていると

こうもいえる。

どの道を進んでも正解はあると。

自分が選ばなかったもう一つの道で、

自分の想像よりいい結果を

出している人もいる。

また、

自分の選らばなかった道に進んで、

予想外の人生になったが、

幸せそうに暮らしている。

もちろん、自分の選んだ道が

良くない選択になった人もいる。

つまり、どの道を選んでも、

成功もあれば失敗もある。

要は、自分が達成感があるか。

満足感があるか。

達成感、満足感があれば、

自分の進んだ道はすべて正解。

だから、

いま歩いている道も正解になると

信じるて生きるのだ。