自信は一瞬でカタチを変える

 

(今日のコトバ)

 

自信は、

ちょっと浮かれると過剰になり、

ちょっと落ちこむと喪失する

生きものなんだ。

 

 

 

誰もが知っている、

自信は簡単にそのカタチを変えることを。

少しでもいいことがあると、

浮かれて過剰になり、

少しでもワルいことがあると、

落ちこんで喪失する。

一つの出来事で、

一瞬にカタチを変える。

このカタチの変化は、

人生のキャリアをいくら重ねても

あまり変わらない。

自信があると思える時は、

自信がつくことが続いているだけ。

自信がなくなっている時は、

自信が失うことが続いているだけ。

心に近い気もする。

だが、心はも少し傷つくのに強くて、

立ち直るには時間がかかる生きもの。

心と似て非なるもの。

それが自信。

自信を揺るぎないものにする

処方箋はない。

だからこそ、

自信がつく、自信が強くなることを

自ら行う。

自分の決めた道を困難でも踏破する。

そうしながら自信を維持する。

それが、自信を自分の中に

強く持ち続ける唯一の方法なのだ。

未来への予告編を見せる

 

(今日のコトバ)

 

なぜ、

あなたに期待しているかというと、

あなたのアクションが

未来の予告編を

見せているからだ。

 

 

 

期待される人には、理由がある。

それは、それまでの行動で

未来を託す何かを、

まわりの人に見せているからだ。

実績というか、

行動する姿というか、

何かがまわりの人に訴えている。

その訴える部分が、

未来への予告編になっているのだ。

つまり、

期待される人は、

見ている人から

「できる」と思われている。

期待される人が、もし自分なら、

期待に応える人でありたい。

なぜなら、

自分は「できる」という

未来への予告編を見せているはず。

そして、その期待に応えることは、

自分の大きな成長につながるのだから。

勝ち負けをどう財産にするか

 

(今日のコトバ)

 

勝った先には、

花が咲いていく。

負けた先には、

根がはっていく。

 

 

 

若い頃は、

勝負は勝つことがすべてだと

思っていた。

事実、勝ちばかりにこだわり、

負けるとすべてを

失ったような気になっていた。

だが、年をとると

勝つことばかりが

すべてではないと

思うようになってきた。

勝つことは、それはそれで

素晴らしい。

気持ちもいいし、

ポジティブにもなれる。

夢や希望が

近づいてくる気もする。

半面、勝ってしまうと、

そこから先に進まないこともある。

「これでいい」と思ってしまう

自分がいることに気づく。

つまり、勝ってしまうと、

進歩がなくなる。

反対に負けてしまうと、

いい意味で反省をする。

「なぜ負けたのか?」

「どこに問題がある」

「違う方法を考えよう」等。

大人になると、

負ける場面、

屈辱的な場面に多々遭遇する。

そのたびに、落ち込むだけではなく、

負けを財産として、

次にどうするかを

考えるようになる。

だから、勝ちがいい、

負けがワルいとはいえなくなるのだ。

いい方を変えれば、

勝ちには勝ちの良さがある。

負けには負けの良さがある。

どちらも、自分次第で

自分の財産に代えられる。

次の自分の人生に

どう生かしていくか。

勝った、負けたより、

そのことが自分にとって

大きなことになるのだ。

 

 

自分に「ないもの」を、成長につなげろ

 

(今日のコトバ)

 

自分に「ないもの」は、

うらやましくなる。

欲しくなる。

奪いたくなる。

 

 

 

他人と比較する時って、

どんな時だろう。

いろいろな状況はあるが、

大概、自分に「ないもの」を

他人が持っている時、

比較をしてしまう。

羨望もあれば、嫉妬もある。

努力目標になることもあれば、

標的になることもある。

そのどれもが、

自分で奪いたいという

気持ちがになっている。

反対にいえば、

自分に「ないもの」を

他人が持っていることになる。

その自分に「ないもの」を

自分のものにするために

切磋琢磨すれば、

成長につながる。

下手にグチをこぼすだけでは、

負け犬になってしまう。

考え方次第だ。

できれば、

自分の成長に「ないもの」を

使いたい。

上手に目標設定できれば、

自分が大きく成長できる。

最高の目標になるのだ。

空気のような存在の人は、幸せをつくってくれる人

 

(今日のコトバ)

 

まわりにいる空気みたいな人は、

幸せを少しずつくれている人なんだ。

 

 

 

あたりまえのように

そばにいる。

圧をかけるわけでもなく、

イライラさせるわけでもない。

かといって、いい時間を提供

してくれるわけでもなく、

サプライズを仕掛けるわけでもない。

だが、そばにいてくれると、

ホッとする。

存在そのものが必要な人。

誰にでもまわりに一人ぐらいはいる

空気のような存在の人。

きっと、その人が、その人こそ、

自分を安心させてくれている、

癒してくれている人。

もっというと、

幸せをつくってくれている人なのだ。

もし、空気のような存在でも、

そこにいてくれなかったら

とても困ってしまう。

生きるバランスを崩してしまう。

空気のような存在の人は、

実は、幸せをつくってくれる人。

そんな人を大事にしたいものだ。

あたりまえの時間に幸せがある

 

(今日のコトバ)

 

なんでもない小さなことが、

とんでもなく大きいことだと、

失った後、よくわかる。

 

 

 

病院で長期入院したことがあった。

手術後のリハビリを続けながら、

病院食とベッドの日々。

快気する日を夢見た時、

イメージされるシーンがあった。

それも、いつもいつも同じシーン。

普通の生活で、

普通の料理をいつもの仲間と食べる。

喫茶店などで楽しく話す。

ただそれだけ。

特別に栄誉があることとか、

高級料理を食べるとか、

海外旅行に行くことではなく、

普通の暮らしの普通の時間に

戻りたかった。

つまり、

あたりまえの時間の中に、

幸せのシーンがあったことに

気づく。

何も大きいことではない。

何も特別なことではない。

だけど、その時間を失うと、

自分の歯車が狂う時間。

それが、幸せな時間だし、

大切な時間なのだ。

怪我の功名という言葉がある。

もしかすると、

あたりまえの時間に幸せがあると

わかったことが、功名なのかしれない。

そう思った。

 

毎日を平然と生きる力

 

(今日のコトバ)

 

自分を信じなければ、

他人を信じることなんてできない。

 

 

 

自分の生き方が信じられる。

紆余曲折あったり、山谷あったり、

一喜一憂したりしながらも、

自分の信念は揺らがない。

そこまでではないにしても、

自分を信じられる人。

そういう人が、

世の中をちゃんと見る目を

持てるのだろうと思う。

自分の生き方がブレてしまうと、

どこに着眼していいか

わからなくなる。

毎回、いろいろなところに

目がいって、

結果、端から見るとブレているように

見えてしまう。

大切なのは、自分がブレない何かを

持つこと。

それには、自信を持てるものをつくること。

そして、毎日の出来事を平然と乗り切る

力をつけること。

毎日を平然と生きていければ、

自分の生き方にも自信が持てる。

ブレるこがない生き方ができる。

自分も信じ、他人も信じ、

世の中を信じることも

できるようになるはずだ。

「何か」を持って

 

(今日のコトバ)

 

あの人が振り向いてくれたのは、

あなたに「何か」あったからです。

 

 

 

 

何も思わないと、

スルーしてしまう。

何か自分の感度に引っかかるから、

しっかりと見ようとする。

すべては、そこからはじまる。

自分の欲しいもの、

自分の好きなもの、

自分に刺激になるもの、、、、。

自分とって何かプラスになるから、

しっかりと見る。

何ともなければ、

存在すら認識されない。

そう思うと、

自分が誰かに認められたいと思う時、

認めさせる「何か」を

持っていたい。

「何か」があるからこそ、

人と違って光って見える。

その「何か」を自分で理解し、

自分で持ってた時、

人は自分に集まってくる。

自分の求心力がついてくる。

新しい人生の扉が開いていくのだ。

弱いものはなにか、強いものはなにか

 

(今日のコトバ)

 

弱いは、強いの入口になる。

強いは、弱いの入口になる。

 

 

 

なんだか人間は、

反対の方に動いていく気がする。

例えば、弱さと強さ。

弱さを自分で認めると、

なんとか強くなろうと考える。

強くなる訓練をして、

弱さを払拭しようとする。

反対に、強さを認めると、

力を抜いて

自然に弱くなって

しまうことがある。

勝って兜の緒をしめよという

言葉もあるぐらいだ。

だからこそ、

人間社会はおもしろい。

最弱は続かない。

常勝もありえない。

人間がどう生きるかで、

弱くも強くもなる。

いま、自分にとって弱いものはなにか。

自分にとって強いものはなにか。

理解していると、

生きる方向がわかる。

その方向に向かって、

どう気持ちをコントロールするかで

人生の方向が決まっていくのだ。

 

わからないを、かくさない

 

(今日のコトバ)

 

わかったふりは、

最後にかっこワルくなる。

 

 

 

 

わかったふりを

しなければならない時がある。

特に、ビジネスの場面では

「知らない」とはいえずに、

わかったふりをすることがある。

ただ、このわかったふりは、

どこかでバレてしまう宿命にある。

「わからない」といって、

教えをこぐか、調べるかしないと、

後で大きな恥をかく。

反対にいえば、

わからないと思った段階で、

わかるための努力をすればいい。

簡単なことなのだ。

ただ、その努力を怠ると、

酷い目にあう。

どこかで大きな恥をかいて、

まわりの雰囲気が微妙になる。

そして、冷や汗をかきながら、

かっこワルい結末を迎える。

そのことを心のどこかで

覚えておきたい。