記憶のチカラ

(今日のコトバ)

 

デジカメは、

人の記憶より美しく昨日を再現できない。

 

 

時に記憶は人生の場面をデフォルメして再現する。

時に記憶はあらゆる時間を大胆に省略してしまう。

どちらかといえば汚い思い出というよりは、美しい思い出に。

どちらかといえば悲しい思い出というよりは、楽しい思い出に。

デジカメよりも、ムービーよりも、プリクラよりも、

都合良く再現する。都合良く編集する。

人間のもつこんなに素晴らしい機能を上手に使わないのは、もったいない。

なんでもかんでも映像に残して、手帳やアルバムにしまうのもいいが、

記憶のチカラというもの大事にするのもいいことだと思う。

記憶は人間が生きるためのドキュメンタリー機器であり、

記憶こそが人生の瞬間を捉え、

生きる道標を設定してくれるのだから。

 

沢木耕太郎の「無名」を読んだ。

著者の父の最期の日々を、無数の記憶を紡ぎながら

辿ったノンフィクションだ。

この作品に描かれている父と著者の日々は、

けして映像で残る親子ではなく、

記憶に残る父と子の目にはみえない物語だ。

それでいながら父をもつ人間なら誰もが共感できる

不変の記憶。映像に残した。だが、そこに何も残らない

人生を感じてる人へ。記憶のチカラが何かを教えてくれる作品だ。

チャンスと信頼は一心同体

(今日のコトバ)

 

人生は、ボールをパスされてナンボだ。

 

 

得点を決めたいけれど、

ボールは自分ではな味方プレーヤーがキープしている。

だが、声をかけても、オーバーなアクションをしても、

近づいていっても、パスは出てこない。

サッカーの試合だけではなく、人生でもこんな場面はあるはずだ。

「オレにまかせろ、絶対決めてやる」

「オレにやらせてくれ、得意なんだ」

「オレにやらせるべきだろう、普通なら」

様々な気持ちでチャンスを呼び込んでも、

自分以外の味方にわたってしまう。

悔しいけれど、どうしようもない。

チャンスをパスされるほど実力がない。

つまり、信頼されていないということ。

チャンスを受け取る人間には、信頼感が必ずある。

自分自身でも何かをまかせようと思ったら、

信頼できる人間から考えるはずだろう。

そう、チャンスと信頼は一心同体なのだ。

チャンスを得ようと思ったら、

まず、日頃から信頼を勝ち取ることからはじまるのだ。

なぜ、「勝ち取る」というのかといえば、

信頼をチャンスという言葉に置き換えられるからなのだ。

遅くはない、いまからでも遅くはない。

信頼を構築できる人生を。

太陽はその先に

(今日のコトバ)

 

フェンスの向こうには、

まだ見たことのない太陽がある。

 

 

扉を開くたびに新しい発見がある。

まだ見たことのないものとの遭遇。

まだ体験したことのない出来事。

感動だったり、驚きだったり、不安だったり、

恐怖だったり、新しいところへ足を踏み入れれば、

新鮮な感情が生まれる。同じ人生を歩むのなら、

毎日とはいわないまでも、新鮮な気持ちで生きていける

人生でありたいと思う。

そのためには、新しい扉を開くことも必要だろう。

壁の向こう側にいってみることも大切なはずだ。

勇気をもって、一歩を踏み出す。

太陽は、その先にあるのだから。

 

本日、オシム監督の初陣だ。

「日本らしいサッカーを追求したい」と

初心表明をした彼の哲学が日本代表の新しい扉を開く。

考えながら走るサッカーで、

最高の日本代表をつくりあげてほしい。

彼こそが日本サッカーの太陽だと信じて。

幸運は見えない道を走る

(今日のコトバ)

 

がんばってないところに、

幸運は生息しない。

 

 

 

幸運は、努力の延長線上にある。

黙って、何もしないで、幸運は寄りついてこない。

偶然のように、突然のように、

目の前に起こる幸運は、

頑張って、努力して創り上げた見えない道の上を

駆け足してあなたのもとにたどりついたのだ。

心がみえないように、

幸運がどこにあるかもわからない。

ただ、ひとことだけいえるのは、

汗を流して頑張った量に見合うだけの幸運が、

必ずあなたに与えられる。

時々、駆け足がのろくて忘れた頃にやってきたり、

時々、願うより早くやってきたりするが、

間違えなく頑張った大きさに比例して、

幸運は与えられる。

だからこそ、努力を忘れてはいけない。

忘れなければ、人生の行く先々で、

幸運というギフトがもらえるのだ。

経験上手

(今日のコトバ)

 

経験をたし算していけば、

やがて本能がかけ算してくる。

 

 

痛い思いも、辛い思いも、悲しい思いも、

一生という人生の中では、

嫌な記憶だけではない。

むしろ忘れられない経験を積むことで、

その後の人生を有意義に過ごせることがある。

たとえば、辛かった過去が長い時間をかけて

美しい思い出になることがある。

誰にでも記憶があるように、

酒でも飲みながら辛い昔話をしても、

結構笑い話になることもある。

かえってただ楽しいばかりの思い出の方が

記憶のページに残らなかったりする。

さらに、辛かった経験は人生にバネをつくる。

一度経験した辛さは、なんとか耐えることができたりする。

また、一度経験したからこそ、辛さにたいする対処方法を

考えることができるようになったりする。

さまざまな経験が増えれば増えるほど、

強くなれることもある。

だから、人生の中で経験を上手に生かそう。

経験をプラスに使えれば、

人生もプラスに動きだす。

そして、プラスに動きだした人生は、

いろいろな状況と結びつきながらかけ算しはじめる。

もっともっと貪欲に、人生に経験を。

脱温室

(今日のコトバ)

 

アウェーで戦え。アウェーで戦え。アウェーで戦え。

ホームへ帰る時、王者として凱旋できるように。

 

 

 

人は、外出て強くなる。

内にこもっていては、強くなることは難しい。

味方ではない人々と、どうやって戦っていくか、

あるいはどうやってコミュニケーションをとっていくかが

自分を鍛える最初の関門になる。

サッカーの試合ばかりではなく、人は一歩家から出たら

まさにアウェーといっていい洗礼を浴びる。

自分の所属しない学校や仕事や街では、

親身になって自分を守ってはくれない。

毎日、予測不可能な事態に遭遇する。

その厳しさの中から人は自分なりの処世術をみつけ、

生きるべき道を確認するのだ。

人が成長するには、温室から外に出て

アウェーとよばれる世界へどんどん踏み込むことが必要なのだ。

もし、いま自分にひ弱さをを感じていたら、

アウェーに足を踏み入れてみよう。

たいしたことはない、知らない世界へ一歩踏み込めばいいのだ。

慣れていけば、一歩、また一歩と前に進めばいい。

その直進力があなたの未来を大きく変える。

あなたの人生を大きく変えていくのだから。

 

情熱大陸でアンジェラ・アキのドキュメントをみた。

彼女の絶世の歌声は、いじめられたハーフとしての生い立ち、

日本でも、アメリカでもシンガーとして芽の出ない屈辱の日々という

アウェーの時代があったからこそ、「HOME」という名曲を

世に送り出し、自分のホームをみつけ、いま、

カリスマとして音楽界に凱旋できたのかもしれない。

人には存在理由がある

(今日のコトバ)

 

人と人には、情状酌量の余地がある。

 

 

ケンカして敵対関係になる。

議論して決裂する。

奪い合って両方が権利を主張する。

人には、人の言い分があって、

その言い分と言い分が妥協点を見出せない場合

取り返しのつかない状態になることもある。

冷戦状態となって交わることを避けることさえある。

社会があって人と人が何かのテーマに向けて

アイデアを考えれば意見のぶつかりあいはあたりまえだ。

ただ、相手の意見を完膚無きまでにつぶすことで

権利を奪いとっても、後々しこりが残りうまい関係は築けない。

相手の意見に賛同できなくても耳を傾けて

妥協できる部分を探すことも人と人の間では必要だ。

100対0という結果になると、0だった人が次のテーマに

走り出すのは時間がかかる。

さらに、世の中を動かしていくことが、100対0ということもあまりない。

言葉は悪いが灰色の部分があって、社会は成り立っている。

先日の亀田興毅のようなプロスポーツでも、灰色の判定が出るときもある。

もっといえば、サッカーの試合だって完全アウェーの場合、

平等な条件といえるだろうか。チームよっては富豪のオーナーがいて

金に糸目をつけずスーパースターを集めることだって、

フェアーなチームづくりとはいえないだろう。

一般の社会になれば、なおさら妥協を要求される。

社長が白いものを黒といったら黒になるのが常だろう。

だから、人と人、組織と組織の中で、

相手の立場にたって考えるやさしさをもとう。

みんな懸命に生きている。その存在理由をぶち壊すことは、

ベストの選択とはいえない。

人と人が生きるためには、情状酌量の余地が必要なのだ。

友が導いてくれる

(今日のコトバ)

 

関係者以外立入り禁止の世界だから、

関係者にならなければならない。

 

 

 

その人が知り合いであることが、

人生の節目でとても重要になる。

もっというと友達であるかないかは、

さらに重要になる。

何かを始める時、その道の顔の人間を知っていれば、

話は高速で進行していく。

友達や親がその道のスペシャリストであれば、

いいポジションからスタートできる。

だからこそ、普段からの人脈は大切だ。

「人脈は金脈だ」といった人がいる。

人脈は金脈だけでなく、人生を広げ有意義にするためにも

必須項目なのだ。

関係者というといやらしさが漂うが、

強い絆の知人をたくさんもつことは、

人生の飛躍する場面で圧倒的な武器になる。

友をもて。そして、友を育てろ。

友こそが、あなたの行きたい場所へ導いてくれる。

継続というキーワード

(今日のコドバ)

 

ネバーエンディングストーリーを、

人生のプライドと呼ぶ。

 

 

 

終わりのない物語を人生の中にもつ。

否、意識せずともみな子供の頃から続いてる

物語はあるのではないだろうか。

趣味嗜好、スポーツ、ビジネス、習い事など。

もう何年も自然に続けている。

いつの間にか人生の一部になっている。

それこそが、人間のもっているプライドでは

ないだろうか。

まわりが驚くほどカルトな収集力、

ずばぬけたスポーツの能力、

経理、IR、クリエーティブなどのスペシャリスト、

書道、お華の免許など、、、、。

続けてきたものは、

すべてプライドの源となる。

いま、自分にプライドがないと思っている人がいたら、

自分の歴史をひもとこう。

必ずプライドと呼べる答えがある。

そして、その答えには「継続」というキーワードがあるのだ。

信じた努力の後に

(今日のコトバ)

 

勝利の裏側は、みっともないことの倉庫です。

 

 

勝った瞬間は、美しい。

汗も涙もすべてが完成されている。

勝つことは、一瞬の完成形といっていい。

だが、その勝利をつかむために、

人はどのぐらい汚ない、みっともないことを

繰り返してきただろう。

泥まみれになって、監督・コーチに怒鳴られ殴られ、

無数の敗北を経験してきたはずだ。 

血と混じる汗、人知れず流す涙、我慢と努力の連続。

けして、人前で披露すべき夢物語ではないはずだ。

しかし、人はこの勝利をつかむまでの

厳しいプロセスを越えなければ、

簡単に栄光にはだどりつけない。

もし、いま、みっともないことを我慢して、

明日のために努力しているのなら、

それは必ず勝利という完成にだとりつくのだと信じよう。

勝利を信じること。自分を信じること。

そして、その裏側では辛いこと、かっこ悪いことに

どんどんトライしよう。

結果は、信じた努力の後についてくる。

 

 

王監督が胃がんの手術から生還した。

ただソフトバンクホークスが勝つというだけではなく、

病魔との戦いにも勝利した。

ほんとうに王監督は、様々な試練を乗り越えてしまう

偉大な男だと改めて思った。