夢への賛同者を集める近道

 

(今日のコトバ)

 

夢は前進する者に味方する。

前へ近づいてくる者を無視できない

性格なのだ。

 

 

 

目標に向かって全力で

前進する人を、

まわりの人は無視できない。

ライバル視する人もいれば、

エールをおくる人もいて、

それらの人の中で

大きな存在になっていく。

そして、夢という見えない力も、

全力で前進してくる者は無視できない。

そのやる気が見える。

その行動力が見える。

その研鑽力が見える。

夢にとっても、

全力で前進してくる者は

見つけやすい。

だからこそ、

その者に力を貸そうと思う。

少しおおげさだが、

夢を実現するためには、

多くの人の力が必要になる。

夢の礎をつくるのは、

間違いなくその夢に賛同する人々。

その人々が動き出す。

つまり、夢が人によって動き出す。

そう思うと、

力を抜かずに前進することは、

夢への近道。

否、夢への賛同者を集める近道。

夢を実現したいなら、

夢に向かって全力で前進してみよう。

 

 

まず、自分の能力を検索する

 

(今日のコトバ)

 

あなたは、

あなたの人生の達人です。

 

 

 

ちっぽけな人生もある。

ひ弱に見える生き方もある。

生活力をいろいろいわれることもある。

だが、誰がなんといおうと、

自分の人生は自分として、

どんな困難も乗り越えてきた。

誰も代わることのできない

生き方をしてきた。

つまり、自分は自分の人生の達人なのだ。

そこを大切にしたい。

何かの難しい問題が起こっても、

ググるよりも、

自分のキャリアで

解決できることを考える。

自分の能力を最大限に活かす。

まず、自分の能力を

検索することを考える。

そこから始めることが大切。

自分というキャリアも高い能力を持つ

武器なのだ。

いらないものを忘れて生きる

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

いらないものを忘れていくから、

いっぱいいっぱいにならないで

生きていけるのだ。

 

 

 

 

記憶力のいい人も、

もの忘れのひどい人も、

人生の出来事を

大なり小なり忘れていく。

時に、忘れたくても

忘れられないことがあったり、

時に、思い出したくても

思い出せないものがある。

だが、出来事の記憶は、

じょじょに消えていく。

まったく消えてしまうことさえある。

それがいいことか、ワルいことか。

ただ、すべてを覚えていて、

記憶の中に詰め込んでいたら、

しんどくてやりきれない。

生きることが重くて動きづらい。

ある程度忘れるからこそ、

身軽になって生きていける。

年をとるたび

忘れることが増えていくのは、

全部覚えていたら、

人生が重すぎるが忘れてしまう、

そう思えてもくる。

だからこそ、

忘れてしまうこともワルくない。

忘れて生きられるからこそ、

いらないものを引きずらないで

生きていける。

人生、忘れることも大切なのだ。

 

継続精神

 

(今日のコトバ)

 

ここから積み上げればいい。

積み上げれば、いつか自信という風景に変わる。

どんな震動があっても、

揺るがない風景になる。

 

 

 

とにかく経験を積み上げていく。

特に、自分に何もないと思っている人は、

一つのことを続けてみる。

できれば、自分の得手なもの、

好きなものがいい。

その分野を続けること。

才能、運、関係ない。

継続することで、

人生の風景を変える。

変えた風景を見るためには、

自信というしっかりとした

立ち位置に立てることが大切。

そのために、

何事も経験を積み上げる。

継続精神を持ち続ける。

三日坊主をやめる。

すぐにあきらめることを

あきらめる。

継続は、人生の風景を変える

最高の方法。

そのことを忘れてはいけない。

 

スランプには、アクション!

 

(今日のコトバ)

 

スランプでも進化している。

それを知るために、

少し時間がかかっているだけだ。

 

 

 

打てた球が打てなくなった。

決まっていたゴールが決まらなくなった。

獲れるはずのボールが獲れなくなった。

日々の練習で積み上げが感じられない、、、。

現状を維持できなくなったり、

成長が感じられなくなると、

スランプになったと人は思ってしまう。

「なぜだ?」

と自問自答しながら、

時間が過ぎていく。

だが、アクションを止めなければ、

壁を乗り越えることはできる。

スランプとは、

何か大きく一歩を踏み出すために

試行錯誤していること。

同じことを繰り返し続けるでもいい。

新しいことをトライしてみるでもいい。

とにかく、歩みを止めずに

アクションを起こす。

やがて時間がスランプを

終わらせてくれる。

壁を乗り越えてさせてくれる。

あせらず歩みを進む。

アクションし続ければいいのだ。

 

 

 

 

夢中は廃れない

 

(今日のコトバ)

 

夢中とは、

好きなものに向かって

気持ちが全力疾走すること。

 

 

 

 

昔、良しとされた言葉が、

今、そうでもなくなることがある。

例えば、根性。

「石にかじりついてもやり抜け。

根性をだぜ」

体育会系の顧問は、

少なからずいっていたはずだ。

また、例えば、頑張れ。

「頑張ればなんとかなる、

まだ、頑張りが足りないんだ」

リーダーが組織の仲間を鼓舞する時、

何度も訊いた気がする。

昔は、それで良かった。

だが今は、根性だけで本当にクリアできる?

頑張り過ぎて心身が壊れたらどうするの?

そういう疑問を持ってしまう時代だ。

ただ、昔からの言葉で、

今でも輝かしい言葉がある。

それは、夢中。

目標に向かって、

一心不乱に突き進む。

この言葉は、

廃れない。

「夢中になって、成し遂げる」

そう思って行動し、

本当に夢中になれることほど

素晴らしいものはない。

人生においても、

これほど素晴らしいものはない。

【夢中】

絶対になくなってほしくない

言葉だ。

ノンフィクションをファンタジーにできる

 

(今日のコトバ)

 

人生は、ノンフィクションを

ファンタジーにできる、

たったひとつのエンターティンメントだ。

 

 

 

 

ノンフィクションという言葉がある。

「ありのままの状況を脚色せず、

そのまま記録する」

多少の異論もあるが、

おおむね事実を

記録することといっていい。

ただ人間の人生は、

このノンフィクションの中に

ファンタジーを

埋め込むことができる。

事実という結末を

自分の意志で変えることができる。

もっというと、夢とか、希望とか、

空想的な気持ちがあれば、

いくらでも事実を変えていける。

人間以外の生き物は、

宿命がそのまま

ノンフィクションになって、

そこからファンタジーを生むことは、

ほぼ難しい。

極論すれば、人間だけが

ノンフィクションをファンタジーにできる。

それが人間の人生。

こんな生き方ができる人間に生まれた

僕らは最高に幸運だ。

 

 

勝つための行動

 

(今日のコトバ)

 

なぜ勝てなかったのか?

それが人間を成長させてくれる

最高のクエスチョンだ。

 

 

 

もしかすると、

反省するということ

なのかもしれない。

「なぜ勝てなかったのか?」という

疑問に対して、

「どうしたら勝てるのか?」という

分析をすること。

毎日生きる中で、

大なり小なり、勝ち負けはある。

そのなかで、

どうしても勝ちたかったけれど

負けてしまったものは、

その後も尾を引いて、

自分の中にモヤモヤ感が続く。

そのモヤモヤ感が

勝ちたい気持ちを醸成していく。

醸成されると、

何が足りないのか、

どこを鍛えればいいのか、

何を探せばいいのか、

どこを学べばいいのか、、、、。

次々に勝つための要素を洗い出す。

洗い出した後は、

そこを補強する。

そして、勝とうと補強とする行動が

成長につながる。

もし、自分に成長力が足ないと思ったら、

とにかく勝とうとしてみよう。

自分が勝つために、

自分を補強するために行動する。

そこから成長ははじまる。

幸福は環境づくり

 

(今日のコトバ)

 

有名という怪力がある。

無名という非力がある。

だが、幸せは、また、

別の筋力が必要なのだ。

 

 

 

大人になるとわかることがある。

有名になったからといって、

幸福ではないということ。

名が売れて、そこそこの収入も

手にするようになった。

だが、その収入を維持するための

プレッシャーやストレスは

想像を超えていた。

また、名が売れたからこそ、

自分及び家族が

賞賛される場合もあるが、

非難の的になることもある。

決して、

幸福とはいえない環境に

なることもある。

子供の頃は、有名になることが

幸福になることの

近道だと思っていたが、

そうでないこともたくさんある。

反対に、無名だから

不幸ということでもない。

名が無いから

悔しい思いをすることもある。

受け入れてもらえないこともある。

だが、無名だからこそ

静かに暮らせることもある。

生活水準さえ誤らなければ、

結構楽しく暮らせることもある。

有名がいいか。

無名がいいか。

それは自分の選択と行動次第。

ただ、幸福という存在は、

有名や無名に関係ないところにある

ような気がしてならない。

有名であれ、

無名であれ、

置かれた環境で

自分及び家族が

幸せになるための環境をつくる。

幸せになるための環境づくりを

丁寧に、丁寧にしている人が

幸福になる。

長く生きていると、

幸福とは、

環境づくりにある。

そう思うのだ。

 

 

 

休むことができる社会へ

 

(今日のコトバ)

 

世の中にOPENしている自分は大切。

だが、世の中にCLOSEしている自分は

もっと大切。

 

 

 

働き方改革といわれているけれど、

改革なら、根本的に働き方と

休み方を考えるべきだ。

社会人になると、

働くことが必須になり、

毎日毎日、

スケジュールを消化していく。

体調が良くなくても、

持病をかかえていても、

仕事優先で生きてしまう。

会社には有給休暇というものがある。

長く社会人をやっているが、

だいたいの会社で認められている

有給休暇40日を、

まるまる消化した人をみたことがない。

残業ができなくなった会社は増えたが、

家へパソコンを持ち込んで

仕事をしている人を

たくさん知っている。

否、この5年で

パソコンで仕事をしている人で、

家でパソコン作業を

したことのない人は、

ほぼいないだろう。

つまり、日本人は、

しっかり休むことができていない。

自分がOPENしてる時はしっかり働く。

それと同じように、

自分がCLOSEしている時は

しっかり休む。

働き方改革というなら、

「しっかり働く、そして、しっかり休む」

そこをまずできるようにする。

特に日本人は休むことができない。

日本人ができないというよりは、

日本の社会ができないといっていい。

まず、社会が休むルールをつくれば、

社会人はそれに従う。

とにかく、きっちり休むことができる

社会を目指そう。