(今日のコトバ)
そんじょそこらにある幸せも、
命がけで手にした幸せなんだ。
他人の幸せは、はたで見ていると、
自然に、難しいことなく、
日々の生活の中にあるように思える。
親と子供が公園で遊ぶ風景、
家族で焼肉をつまむ風景、
手をつないで歩く恋人たちの風景等。
ぐるっと地元を一周すれば、
一つぐらいは幸せのカタチを見ることができる気がする。
反対に、不幸のカタチのようなアクシデントは、
そうそう遭遇するものではないし、
あえて自分たちの恥部を人前に見せようする人もいない。
ただ、幸せに生きようとしている人は、
みんな幸せのために頑張っている。
まずは、給料を稼ぐために、
不愉快きわまりのないことをしているし、
ストレスの正体の大部分は給料のためだったりする。
誰かが、「給料はガマン料だ」といったが、
うなずける部分もある。
また、平和な関係を維持するために、
頭を下げたたり、黙ったり、
自分の気持ちと裏腹な行動をとる人もいる。
さらには、幸せな暮らしに見せかけるために、
見栄を張った演出をしてしまう人もいる。
もちろん、ほんとうに幸せで、
ほんとうに楽しくてしかたない人もいるだろう。
だが、たいがいの人は、
幸せのために人生の時間を多くかけている。
人の人生はいろいろだ。
幸せなど考えずに生きることもあるし、
危険なことに手を出す人もいる。
ただ、やっぱり幸せに生きるには、
それ相応の努力がいる。
そして、幸せになるために頑張る必要がある。
そのことを忘れてはいけない。