心の牙

(今日のコトバ)

 

牙は抜かれるものではない。

自ら抜いてしまうものなのだ。

 

 

 

 

よく牙を抜かれるという。

ギラギラしていた人間が

誰かの配下になり、

まったくギラギラしなくなる。

あるいは、組織の中で自分のポジションを

勝手に決めて、そのポジションから出なくなる。

昔は意欲的にがんばっていたのに、

実力あるのに、気を消して、

つまらない人間になってしまったという人。

そういう人がまわりにも一人はいるだろう。

ただ、その人はほんとうに牙を抜かれたのだろうか。

「牙を抜かれる」

そういわれるのだから、

牙が昔はあったはずだ。

もし、ほんとうに牙があったのなら、

人に抜かれる前に、吠えるなり、噛みつくなり、

自己防衛して抜かれない努力をする。

仮に、強力な勢力に力づくで抜かれたとしても、

魂が残っていれば、心の牙は、

また、鋭利に伸びてくる。

そう考えると、

牙が抜かれたという人は、

そこが自分の限界と決めてしまった人なのだ。

だから、もし、牙が抜かれたと思う人や

自分が牙を抜かれたといわれたら、

そこに限界線があると思っていい。

そして、牙は抜かれたものでなく、

自ら抜いてしまったのだ、と。

人生は、挑戦する限り進化する。

そして、あきめた時、退化していく。

牙を抜いてしまうのは、

あきらめた時なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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