自由を自主規制しない

 

 

(今日のコトバ)

 

おとなの顔をすることで、

自由を自主規制していませんか。

 

 

 

「守りにまわったな」

「ずいぶん大人になっちゃって」

「つまらない人間になったな」等々。

年をとって、行動や考え方が変わった人を

揶揄する言葉がある。

大概が大人になって保守的になった時に使われる。

では、大人になったとは、どういうことか。

それは、昔より、若き日より、

自由を満喫しない、

自由に生きていない状態を指すのではないだろうか。

もっというと、

自由を自主規制している様子をみると、

保守的になったと思われる。

自由を自主規制することがわるいことではない。

背負うものが増えて、

身動きがとれなくなったり、

守るものを自由より優先しているのかもしれない。

ただ、人生は一度きり。

やりたいこと、やるべきことはあるはずだ。

そのやるべきことと、

大人の人生をどこで折り合いをつけるか。

もちろん、子供の時間のように、

ただただ自由でも厳しいと思う。

だが、すべての自由を自主規制したら、

自分が苦しくなる。

それこそ大人なのだから、

頭を使って、自由な時間をどこかにつくる。

大人というカテゴリーにいることに

流されるのではなく、

自分の人生をどうしたいかを考える。

そこを意識して、

自由をできるだけ自分の人生につくる。

息苦しい人生にならないために、

大切なことだと思う。

 

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