声を上げられる世界へ

 

(今日のコトバ)

 

間違えていることに、

間違えていると声をあげられない世界は

絶対に間違えている。

間違えるな。

 

 

 

 

 

ハリウッドのセクハラ問題が

大きなニュースになっている。

稀代の名女優も含めて多くの関係者が、

権力のあるプロデューサー・俳優の

セクハラ被害者だった。

ただ、これまでみな受けた被害を

声にできず、

正すことができないでいた。

そのハリウッドも

勇気のある一人の声から

問題が顕在化し、

世界中で襟を正そうとしている。

あのアメリカの、あのハリウッドでも、

こんな問題が起きていたのだ。

権力が持つ問題は、

簡単には正せない。

声を上げるにも大きな勇気がいる。

ただ、このような問題は、

社会の仕組みではたくさんある。

ポジションの上の人に問題があると、

下の人は何もいえなくなる。

特に日本は、その傾向が強い気がする。

だが、何もいえない、

声を上げないということは、

問題は解決しないとイコールだ。

嫌だと思っていることが、

いつまでも続いていく。

それを解決するには、

自分も含めて勇気を持って

声を上げるしかない。

組織にいると大変なことかもしれないが、

それが正しいことであれば、

必ず、賛同者もいるし、

正しい解決法が見つかる。

間違っていることを

間違っていると

声を上げられない世界は、

絶対に間違っている。

間違えてはいけないのだ。

 

 

 

誤算からも正解が生まれる

 

(今日のコトバ)

 

人生は、誤算が正解になることもある。

 

 

 

 

算数だと誤算をすると、

正しい答えにならない。

計算違いが命取りになって、

✕になってしまう。

だが、人生では、

時に誤算が正しかったり、

想像以上にいい答えになることがある。

一石二鳥という言葉のように、

一つのことをこなしたのに、

二つのいいことがあったり、

間違った✕の選択をしたと思ったら、

それが正解と思える状況になることもある。

それが人生の面白いところ。

人生は、数字では割りきれない。

割りきれないからといって、

それがすべて間違いではなく、

大正解だったり、

人生を思いっきり素晴らしい世界に

案内してくれることもある。

だからこそ、生きる張り合いが生まれる。

もっと、もっとという気持ちになれる。

いま、自分の中に数字で

割りきれないものがあったら、

それが生きているということ。

全力で答えを探せばいい。

正しい答えは無限にあるのだ。

 

少しずつ想像力を働かす

 

(今日のコトバ)

 

想像力は、日々、上書きされる。

 

 

 

いろいろなことを考えている。

面白いこと、つまらないこと、

難しいこと、単純なこと、

食欲のこと、恋愛のこと等、、、、、。

それらすべてを、

大げさにいえば想像力ともいえる。

そして、その想像力は、

日々、更新している。

もっと大げさにいうと、

想像力は、日々、

進化しているともいえる。

そう考えると、

誰もが想像力を

働かせているといえる。

その想像力を、

もう少しだけ人生の有益な部分に

活用すると、

人生は少しずつ素晴らしい方へ向かう。

よく「もう少し頭を使えよ」

といわれることを意識的にやってみる。

文字通り、もう少しでいい。

それだけで、人生は少しずつ有益になる。

少しずつを続けていくうちに、

人生は有益で

素晴らしいものになっていくはずだ。

 

相手との距離を縮める

(今日のコトバ)

 

前へ出れば近づける。

後ろへ下がれば遠ざかる。

その距離が人生の差になる。

 

 

 

 

人と人の距離。

近づきたい人に

近づけなかったり。

近づきたくない人に

近づかなければならなかったり。

人生は難しい。

ただ、近づきたい人には、

勇気を持って

近づいていくべきだと思う。

いろいろなケースがある。

仕事関係で。恋愛で。弟子になりたくて。

そう思っていても、

遠くで見つめるだけでは、

やっぱり相手はわからない。

わからせるためには、

自分という存在がいることを

しっかり理解させる。

相手の頭にイメージさせる。

それには、

出会う方法を

考えなければならない。

その方法は、自分の持っているものを

相手に表現する。

玉砕することもあるかもしれない。

だが、自分を認めさせなければ、

距離は永遠に縮まらない。

もちろん、罪なことで近づくのは

論外だが、出会わなければ何もはじまらない。

まずは、相手との距離を縮めるために、

出会うことが大切なのだ。

一歩踏み出せば成長期

 

 

(今日のコトバ)

 

過去に勝てるうちは、成長期。

 

 

 

成長していることを、

どこで感じるか。

本人が確認することが、

いちばん難しい。

目に見えてというのが、

自分ではわからなかったりする。

若いうちは、

習得するべきことがあるから、

自分で成長を確認できることもできる。

だが、年齢を重ねると、

だんだんと成長を感じなくなる。

習得するものが少なくなり、

体力、気力が衰えてきて、

退化を感じてしまう。

ただ、それでも成長していることがある。

例えば、若いころではなく、

年をとってからはじめたものは、

あたりまえだが、

若いころより習得する部分があるだけ

成長する。

また、やる気を起こせば、

若いころを超えることも

できるかもしれない。

そう考えると、

自分の最高を超えることは、

結構あるのだ。

そして、最高を更新している以上は、

まだまだ成長期。

人生は、何度でも成長を迎えられる。

そう、一歩足を踏み出せば、

人生は進化するきっかけに

あふれているのだ。。

現在進行形が生きている

(今日のコトバ)

 

栄光は、過去形では輝きが鈍る。

現在進行形でこそ輝きを放つのだ。

 

 

 

 

武勇伝を話す人がいる。

凄い事だと思うのだが、

あまりにも過去の武勇伝ばかりだと、

引いてしまうことがある。

第三者から訊くならまだしも、

本人から訊くと、

どこか信憑性なく感じることもある。

もっというと、

その人がいま、

武勇伝を築いている人なら、

まだ話を素直に訊くこともできる。

だが、

武勇伝が遠い過去の話だと、

それこそ話半分にしか訊けなくなる。

栄光の歴史を語る人も同じ。

遠い昔の栄光を語られても、

「いま、どうなの」

という気持ちがつきまとう。

老人になって、

これから栄光でもないだろう

という人は別として、

現役の人が、

過去の話ばかりするのは、

どうもいただけない。

どうしても、

「それって、いまがいけてないんじゃない」

と思ってしまうのだ。

では、素直に栄光の話を訊ける時とは、

どんな時だろうか。

それは、現在進行形で結果を出している時。

いまも、

まわりの人が納得する結果を出しているか、

活躍している姿をしっかり見せている時は、

こちらも素直に話が訊ける。

少々、話を盛っても、

ちゃんと訊いてしまう。

それは、現在進行形が生きているからに

他ならない。

栄光なんておこがましいが、

自分で振り返っても、

自分の良かった過去の話をしている時は、

自分がいけてない時の気がする。

「いま話せることがないから、

過去の話をしている」に過ぎない。

だからこそ、

栄光の話、武勇伝を話す時は

気をつけるべきだ、

「いまがどうなの?」と。

転ぶことは、進化のきっかけになる

 

(今日のコトバ)

 

転ぶたびに、着地がうまくなる。

 

 

 

人は、転ぶ。

何度も、何度も、転ぶ。

転ぶだびに立ち上がり、

「もう転ばないようにしよう」と考える。

どこがわるかったのか、

どこが間違ったのか、

どこがもつれたのか、、、。

頭にかすめるぐらいでも

考える。

ちょっと痛みを伴うから、

同じことを繰り返したくないと思う。

そこが進化の源になる。

転ぶことは、どこかで自分が失敗してる。

その失敗を繰り返さないように、

頭で考える。

最高の知恵ではないかもしれないが、

いい知恵が浮かぶこともある。

時間とともに、ただの考えが

いい知恵になることもある。

転ぶこと。

それは、起き上がる力をつけ、

着地がうまくなること。

そして、進化のきっかけをつくることなのだ。

 

 

がむしゃらを忘れない

(今日のコトバ)

 

未熟は、全力疾走してこそ円熟の牙城を崩せる。

 

 

 

何事にも修業期間はある。

技が身についていなくて、

ツボがわからなくて、

動作が不自然で、

上手にできないことが多い。

ただ、その期間でも本番を

要求されることはある。

自分の思い通りでないタイミングで

本番はやってくる。

キャリア不足でも、

超ベテランに

挑まなければならないこともある。

その時、武器になるのは何か。

当然、技では勝てない。

ならば、とにかく前へ進もうという

がむしゃらさではないだろうか。

このがむしゃらさは、

時に勢いを生む。

勢いがつけば、

自分の実力を超えた力が湧いてくる。

圧倒的実力差、絶対的不利な状況も、

想像を超えた力で勝てるかもしれない。

100回やって、1回かもしれない。

善戦健闘で終わるかもしれない。

だが、どうせ格上に胸を借りるなら、

がむしゃらに向かっていく。

当たって砕けろの気持ちで、

全力を尽くす。

その精神をいつも心の先頭に持っていたい。

いいことが起こる気持ち

 

 

(今日のコトバ)

 

今日、いいことがある日の前日と設定する。

 

 

 

何か大きなイベントがある前日は

ワクワクしてくる。

当日が早く来て、

思いっきり楽しみたい。

遠足の前日だったり。

遊びに行く前日だったり。

人によっては、試合の前日だったり、

試験の前日だったり、、、、。

前日が当日よりワクワクすることもある。

明日起こることの

楽しいイメージが先行するから、

幸せな気分ひたることができる。

もちろん、自信がなくて、

前日が不安で仕方ないこともある。

イベントなど

避けて通りたい気持ちになることもある。

だが、ほんらい自分が望んだイベントなら、

ワクワクしてこなければ嘘だ。

仮に不安があっても、

楽しみが打ち消す。

そんな状況をつくるには、

準備をしっかりして、

自信が持てる状況をつくることが大切。

楽しむために、日々の準備を怠らなければ、

自信も生まれる。

いいことが起こるような気持ちになる。

そのことを忘れてはいけない。

相手もただの人間

 

 

(今日のコトバ)

 

小さく思える自分でも、

あいつから見れば、立派に大きく見えている。

 

 

 

 

自分の足りないところ、

自分のよくないところ、

自分の許せないところ等、

劣等感になる部分は、誰にでも

少なからずあるだろう。

人と比べて劣っているから

何とかしたい。

だが、どうにもならないでいる。

ただ、

ほんとうに人より劣っているのだろうか。

それは、あくまでも自分という

一つの視点から見た場合の考え。

自分以外の他人から見ると、

何も劣っていないと

思われていることも多い。

自分が対象とする相手も、

こちらの凄いところを見ていて、

絶対的に勝っているとは

思っていない。

自分が劣っていると

思っていることも多いはずだ。

相手のいいところは、さらによく見えて、

自分のわるいところは、さらにわるく見える。

人間の視野など、そんなものかもしれない。

見えない幻想をつくりあげ、

幻想に勝てないともがいてしまう。

もちろん、もがくことが努力に変わり

成長する場合もある。

ただ、度が過ぎると、

幻想に押しつぶされてしまうこともある。

そういう状況にならないためにも、

相手を大きく見過ぎないようにしよう。

相手も人間。

いいところもあれば、

わるいところもある。

相手のわるいところもしっかり見る。

相手の弱いところもしっかり見る。

そして、自分のいいところも

しっかり見る。

特に、自分のいいところをしっかり

見つめることは大切。

いいところはどこだ、

いいところために精進しているか。

精進していれば、

怖れることはない。

その精進を続けて、

前進していけばいい。

幻想がなくなった相手は、

自分より劣っているところが

たくさんある、ただの人間。

地上に怖れる人間など、

それほどいないのだ。