相手の意志を初期設定する

 

(今日のコトバ)

 

いくら愛していても、

自分の幸せの寸法と

相手の幸せの寸法が、

ぴったり合うことはない。

 

 

 

愛することに対して、

意志の疎通は大切なことだ。

自分に愛があっても、

意志を通せないこともある。

愛しているだけに、

「なぜ、わかってくれなのだろう」と

思い悩むこともある。

相手には自分と違う意志が

あるから、

あたりまえといえば

あたりまえなのだが、

それでも、意志の疎通や

コミュニケーションが

上手くいかなくて

別れてしまうことがある。

その時の対処法はあるのか?

そう考えた時、

一つだけ思いつくことがある。

相手の初期設定を慎重にする。

相手は自分ではない。

違う人間が生きている。

自分とまったく違う意志もある。

そこを初期設定すれば、

相手が少々想像と違っても

許すことができる。

人が人と意志を疎通することは、

生きる上でいちばん難しい。

だからこそ、

相手の意志を尊重して生きていこう。

 

もっともっと「ありがとう」の言葉を

 

(今日のコトバ)

 

「ありがとう」は言葉にしよう。

心に締まっておくものではない。

 

 

日々の生活の中で忘れてしまう言葉。

その筆頭が「ありがとう」だと思う。

「すいません」とか、

「どうも」とか、

「サンキュー」とか、、。

本来、「ありがとう」と

いうべきところを

軽い感じで済ましてしまう。

特に、近しい人は

軽く済ましてしまう傾向にある。

ただ、感謝を伝えるのに

軽くていいはずはない。

重すぎる必要もないが、

ちゃんとバランスをとれて

気持ちが伝わる言葉があるなら、

その言葉を伝えたらいい。

「ありがとう」

いちばん気持ちが伝わり、

伝える方の感謝が明解な言葉。

もっともっと人生の中で

使っていい言葉。

人生は「ありがとう」の数が

増えれば増えるほど、

感謝の気持ちが伝わり、

自分の誠意も伝わっていくはずだ。

歩みを揃えながら、気持ちを揃えていく

 

(今日のコトバ)

 

みんなが離れていくのではない。

あなたが止まっているのだ。

 

 

 

なんとなくまわりの人から

敬遠されていると

感じることがある。

無視されていると

感じることも

あるかもしれない。

その時、途轍もなく不安になる。

人は人から冷たくされのが、

もっとも辛い気持ちになる。

何とか元に戻したい。

そう思っても、

まわりの人の心変わりばかりを

考え込んでしまう。

だが、こういう時は

自分にも問題があることが多い。

いちばん注意したいのが、

まわりの人は先に進んでいるのに、

自分が動かず止まっている時。

あるいは、みんなが変わっているのに、

自分が変われない時に

問題があったりする。

もちろん、

まわりの人がいじめのように

意図的に無視したりする場合もある。

ただ、なぜ自分から人が

離れていくかを考えると、

自分が前に進んでいないことも

問題であることを

忘れてはいけない。

人間と人間は、

歩みを揃えながら、

気持ちも揃えていく

生きものなのだ。

心の扉を開いてコミュニケーション

 

(今日のコトバ)

 

心の扉を開くには、

押すところもあれば

引くところもある。

だが、扉の前に立って、

センサーが感知して開くことはない。

 

 

人には心の扉がある。

目に見えない扉だから、

いつも開放している人もいれば、

固く閉ざしている人もいる。

コミュニケーションを

とりたければ、

その心の扉を開ける必要がある。

勝手に土足で入ってはいけない。

遠慮してノックを

しないのもいけない。

心の扉を開けもらって

通じ合うのは難しい。

ただ、心の扉を開けるために、

押したり引いたりの行動が大切。

心の扉に自動ドアはない。

センサーが感知して開くことはない。

だからこそ、

時間をかけても

扉を開けてもらう努力をする。

一度開いてもらうと、

いつも顔パスのように

入ることができる。

心の扉を開くことで、

グッドコミュニケーションを

築ける。

有意義な人生のために

大切なことだ。

 

お金が変える人生

 

(今日のコトバ)

 

お金があると、

自分の人生を拡大する。

お金がないと、

自分の人生を縮小する。

 

 

懐が暖かくなると、

気持ちが大きくなる。

サイフの紐がゆるむというか、

カードを切る回数が増えるというか、

何となく人生を解放してしまう。

反対に、

懐が寒いと、

緊縮財政を引いて、

なかなかお金を使わなくなる。

たいていの人は、

そんな生き方をしていると思う。

懐にお金があるだけで、

人生を解放していろいろなものに

お金を使う。

お金を使うということは、

経験を買うということでもある。

人生が広がるといってもいい。

だが、お金を使わないということは、

何かをしないということでもあるから

経験は増えない。

人生はそのままだ。

もちろん、お金がなくても

積める経験はある。

ただ、大胆に経験を積むには

お金があった方がいい。

いい意味でも、ワルい意味でも、

お金は人生を変えていく。

年末になり、何かとお金が必要になると

いつも思い浮かぶことだ。

夢と幸せが紡ぐ物語

 

(今日のコトバ)

 

眠る時、

幸せを夢に貸して、

起きる時、

夢から幸せを返してもらう。

人間は、いつだって

幸せと夢の間を生きている。

 

 

 

あたりまえ、平凡、普通、、。

何でもない日を、

形容する時に、

そんな言葉を使う。

大きな出来事もなく、

いつもと同じような日々が

続いていく。

言葉としては間違っていない。

ただ、この何でもない日々は、

人間にとって大きな役目を

果たしている。

それは、夢と幸せを届けてくれること。

夢とは、

人生においての目標のこと。

その目標を達成するために、

毎日を試行錯誤している。

その試行錯誤する日は

特別な日ではない。

試みることはあっても、

あたりまえの日であり、

平凡な日の中にある。

また、幸せを感じることは、

生きるための絶対必要なこと。

幸せでないと思ったら、

その瞬間から生きることが

苦しくなる。

苦しくならずに、あたりまえに、

普通に生きているということは、

幸せな人生といっていい。

この夢と幸せが紡ぐ物語こそ

人生の醍醐味なのだ。

夢のある人生を求めて、

幸せでいっぱいの人生を求めて、

生きることこそ最高の人生。

いま、自分が夢と幸せを感じるなら、

あたりまえの日々が続いていても、

それは素晴らしい人生を

過ごしていること。

そう思っていいと思う。

 

 

 

失敗も敗北も前進

 

(今日のコトバ)

 

たしかに前進していない者は

後退している。

ただし、失敗も敗北も

前進していることを

忘れてはいけない。

 

 

 

自分が前進しているのを

確認するのは難しい。

何が前進かの定義だけでは

計れないものもある。

もちろん、

何もしなければ後退していることは

誰より自分がわかる。

では、失敗や敗北はどうだろう。

人によっては結果が出なかったから

後退だと定義する人もいるだろう。

だが、長く生きていると、

失敗や敗北は後退でないことが

よくわかる。

一つは経験を積めたこと。

一つは間違いがわかったこと。

一つは足りないものがわかったこと。

一つは挑む気持ちが芽生えたこと。

まだまだたくさんある。

後退したとすれば、

自分の気持ちの問題だ。

「結果が出なかったから、

もうやめる」

そう思って、

動きを止めた時、

はじめて後退していく。

だからこそ、

失敗や敗北で落ち込むことはない。

人生においては確実に

前進している。

そのことを忘れてはいけない。

次回を確約に近づけるために

 

(今日のコトバ)

 

「次回」に指定席はない。

 

 

 

何事も次回の確約なんてない。

あたりまえのように訪れる

今日の出来事も、

思い通りに訪れる保証はない。

ただ、人は次回のために準備をし、

あたかもあたりまえのように

出来事が来ると思っている。

その次回に来る出来事を、

一期一会のように大切にできるか、

そうでないかで人生は変わる。

計画、準備、用意、地ならし、、。

次回のためにできることを

徹底して行う。

納得するまで行うことで、

次回が約束された気持ちになる。

その繰り返しが人生ともいえる。

そして、それでも次回が

どのように訪れるかの確約はない。

それが人生の面白いところ。

だからこそ、

次回を確約に近づけるために

今を精一杯生きる。

今を精一杯生きることの連続が、

次回の確約度を高める。

自分の思い通りに近い人生になる。

今の、今日の生き方を

大切にして生きていこう。

 

 

自分を全部使って生きる

 

(今日のコトバ)

 

才能とは、

もう可能性が開拓されたもの。

努力とは、

これから可能性を開拓するもの。

 

 

「才能だけでは生きていけない。

結局、努力家が最後は勝つ。」

昔の先生は、

よく生徒を頑張らせようと、

こんなことをいっていた。

「才能じゃない。努力だ」と。

だが、時代は変わり、

才能を上手に使えば、

人生を有意義にできることを

知るようになる。

努力も方向性を間違えば、

役に立たないこともあることを

知るようになる。

才能と努力。

人間の能力を発揮させる

優れた二つの機能。

両雄並び立つ機能。

才能を持って努力できれば、

素晴らしい結果を

出せるかもしれないが、

それでは、努力して

結果を出そうとする努力家には

夢がなくなる。

才能だけで突破できるもの、

努力だけで突破できるものも

あってほしい。

才能には才能の世界、

努力には努力の世界がある。

人それぞれが自分にあった能力を

選択すればいいのだ。

そして、忘れてはいけないことがある。

才能は、もう自分の可能性を

表現できているものであること。

努力は、これから自分の可能性を

掘り起こすものであること。

自分の能力を最大限に発揮するには、

その才能と努力の意味を

しっかりと意識して生きる。

自分の能力を全部使って

生きていくために必要なことだ。

 

 

次の日の朝が楽しくなるように生きる

 

(今日のコトバ)

 

朝目覚めたら、

昨日の幸せの続きが始まる。

人生とは、

幸せをつないでいくことなんだ。

 

 

 

朝目覚めて、

「今日も一日楽しい日が始まる」

そう思える人は幸せといっていい。

たいがいの人は、

だるいと思ったり、

しんどいと思ったりして、

なんとか気分を立て直すことから

一日をスタートさせる。

ただ、考えてみると、

だるいとか、

しんどいとか思えることも、

何か目的があるから

湧き上がる気持ちだったりする。

何も目的がなければ、

だるくもしんどくもない。

もちろん、

あまりにもしんど過ぎるのは

幸せとはいえない。

ただ、人にとってしんどいのは、

目的がないこと。

少なくも、

目的があるということは、

幸せのカテゴリーにいる。

後は、しんどいことやつらいことを

自分で整理して、快適な気持ちに

変えていく努力をする。

それには、前日まで仕事を終わらせる。

準備を滞りなく行う。

前日のストレスを発散する等。

やれるべきことをやる。

そのやれるべきことを行って、

朝、楽しい気持ちでスタートさせる。

その意識を持って生きれば、

じょじょにではあるが、

いい朝が迎えられるようになる。

朝、楽しくスタートできる人生ほど、

気持ちのいいものはない。

できる限り、

次の日の朝が楽しくなるように

生きてみよう。