持っているものを伸ばして生きていく

 

(今日のコトバ)

 

手をのばせ。

足をのばせ。

そして、命をのばしたら、

きっと、夢に届くはずだ。

 

 

 

とにかく夢に近づいていく。

自分の持っているもの

すべて伸ばして頑張っていく。

日々、その気持ちを忘れず

続けていけば、

描いた夢に近づいていける。

もちろん、

絶対に夢を実現することは

約束できないが、

自分の成長は約束できる。

いま、どうしても

叶えたい夢があるなら、

自分の持っているものを

伸ばしていこう。

成長することによって

人生が楽しくなる。

素晴らしい人生に

なっていく。

人生の夢を実現することは

自分が成長しながら

伸びていくこと。

忘れてはいけない。

実力は敗北を財産にしている

 

(今日のコトバ)

 

今日の勝利は、

敗北に希望が光る場所を

教えてもらった結果である。

 

 

何度も負ける。

負けるうちに、

いろいろなことが血肉になる。

その力が一つになって

勝利に到達する。

目指したものによって

一概にはいえないが、

たいていの場合、

負けるという経験をして

勝利を手にする。

負ければ負けるほどとはいわないが、

回数を重ねるうちに習得したものが、

自分の実力になる。

実力は負けを財産にしている。

その財産がたし算され、かけ算され、

時に引き算や割り算されて、

勝利への方程式をつくる。

その方程式を見つけた時、

人は勝利できるようになるのだ。

だからこそ、

負けるという経験は大切。

「いつか負けたということが

大きな財産になる」という

名言もある。

その言葉を忘れてはいけない。

 

言葉を丁寧に紡ぐ

 

(今日のコトバ)

 

言葉にはフォアボールもある。

言葉にはファウルボールもある。

言葉にはデッドボールもある。

言葉にはホームランボールもある。

いろんな言葉があるから、

言葉はキャッチボールできるのだ。

 

 

言葉によって

コミュニケーションが成立する。

人と人の気持ちを

理解しようと思えば

言葉を紡いでいくことが

いちばん早い。

どれだけ話しても

伝わらないこともあるし、

どれだけ話しても

理解できないこともある。

ただ、それでも言葉より

人を理解するツールはないのだ。

その無限の言葉を紡いで

最適なコミュニケーションを

取れるように努力する。

それこそが、人間の

いちばんのコミュニケーション法。

そう思って、

言葉を丁寧に紡ぐことを

意識していれば、

コミュニケーションは

上手くいくことが多くなる。

その意識を忘れてはいけない。

「ここまでという限界線」を外して

 

(今日のコトバ)

 

身の丈ばかり

合わせていたら、

身の程知らずは

どこかへ行ってしまう。

 

 

できることの範囲だけで

同じことを繰り返していても

進歩はない。

時に、

自分の常識を超えたところへ

挑んでみる。

その挑む力が

自分を成長させる。

自分の殻の中だけで

生きていると、

段々小さくなってしまう。

現状維持ではなく、

小さくなってしまう。

自分の成長を

期待したいなら、

殻を破ってみる、

身の程知らずをしてみる。

そんな気持ちが必要。

人生は成長の

記録でもある。

自分が進歩するために、

自分の中の「ここまでという

限界線」を外して

目的に挑むことが大切なのだ。

 

 

自力というアイデンティティ

 

(今日のコトバ)

 

権力という誰かの手に

しがみつくより、

非力でも差し出した

自分の手を信じる。

 

 

 

寄らば大樹の陰。

虎の威を借る狐。

腰巾着、、。

権力者の力を借りて

のさばる様を表現する言葉は

いろいろある。

世の中の人々を見ても、

あきらかに権力者の陰で、

偉そうな態度をとっている人を

よく見かける。

ワルいといっているのではない。

会社という組織に

上下階級があるように、

権力が生まれ

その下でうごめく人がいるのも

無理はない。

ただ、すべてが

権力者のしもべになってしまうと、

「自分は何者?」という

疑問を持つことになる。

自分だけでなく、

他人も「あの人は何者?」と

思うようになる。

それで生きいければいいが、

人生はそう甘くはない。

必ず自力が問われる時が

やってくる。

その時、どう自分は生きていくか。

権力者の庇護がないところで

どう生きていくか。

そして、

その時のために

自分は何を準備するのか。

そんなことを考えて

生きていくことも大切。

自力という能力を

いつも世の中は見ている。

そして、自力こそが

アイデンティティだと

世の中は見ている。

そう思われた時、

自力というアイデンティティは何か?

明確の打ち出せれば

人生は躍動してくる。

自分の思いに近いところで

生きていけるはずだ。

生きるだけで誰かの役に立ってる

 

(今日のコトバ)

 

あなたが負けた時、

誰かが勝ってる。

あなたが損した時、

誰かが得してる。

あなたが失敗した時、

誰かが成功してる。

そんなあなただから、

誰かの役に立ってる。

 

 

 

誰かの役に立つ。

それは何も凄いことを

するばかりではない。

例えば、負けることであっても

敵が勝者になれば、

敵の喜びのためになることもある。

広い意味で

敵の役に立っているかもしれない。

勝者に歓喜の気持ちや幸せを

与えたのは敗者の存在だ。

そう考えると、

人の役に立つことはあまりに多い。

助ける、救う、導く、教えるなど、

役に立つこともあるが、

負ける、損する、失敗するなど、

役に立たないようなことも、

場合によっては役立ってる。

だからこそ、

「自分が誰の役にも立っていない」

などと思わないで生きていこう。

人と人が交われば、

どこかで役立つ。

どこかで補完しあっている。

生きていることは、

それだけで誰かの役に

立っているのだ。

時間は生きものである

 

(今日のコトバ)

 

時間を宝の山にするか。

時間をゴミの山にするか。

自分次第で

時間という山の景色は変えられる。

 

 

生きることは、

時間とどう付き合うか

ということ。

上手に使えば、

時間は人生に

素晴らしいギフトをくれる。

反対に、

惰性に流れてしまうと、

何の役にも立たないものに

なってしまう。

本当に自分次第。

もっというと、

どういう人生を

送りたいかから逆算して、

時間をどう機能させるかが大事。

あまりにも何も考えずに

生きると損をしてしまう。

時間は生きものであるということを

意識していく。

人生を有意義にしていくために

大切なことだ。

心に残った優しさが涙になる

 

(今日のコトバ)

 

あふれる涙は、

心に残した「優しさ」でした。

 

 

嬉しいこと。

悲しいこと。

悔しいこと。

感動すること。

感激すること、、。

感情が高ぶった場面で、

人は涙を流す。

その涙の成分って、

何だろうと時々考える。

答えは一つではないし、

人によっての違いもあるだろう。

ただ、

こうはいえないだろうか。

心に残った優しさが涙になる、と。

人に対する優しさ、

自分に対する優しさの

二つの心に残った優しさが

涙の素になる。

嬉しさや感動は、

人と共有できる優しさあふれること。

悲しさや悔しさは、

自分の気持ちから

優しさが生まれること。

そう思うと、

涙を流すこともワルくない。

我慢して泣かないことが

強い人間とも思わない。

涙は自分の優しさの確認だ

と思って生きるてみる。

自分の中に不純物を溜めないで

生きる方法だと思う。

 

時間を自分のものにする

 

(今日のコトバ)

 

時の速さに合わせて、

自分が走るのではない。

自分の速さに合わせて、

時を走らせるのだ。

 

 

時間をどう使うか?

人生を自分の思いのままに

するためには、

一番大切なことだと思う。

だとしたら、

時間とどう対峙するかを

考えるべき。

そのために、

時間が自分の意志に反して

決められないように

生きることが必要。

あくまでも、自分の意志で

時間を管理する。

そこがポイント。

自分の意志で管理できれば、

時間を有意義に使える。

働く。学ぶ。遊ぶ。休む、、。

生活のあれやこれやを

他人の意志の下で動かされ、

自分の知らないところで

行動を決められては、

ストレスを生む原因に

なってしまう。

だからこそ、

時間は自分で管理する。

自分で管理すれば、

その中で

自分のパフォーマンスができる。

そこが、

人生を思いのままにしていく秘訣。

時間を自分のものにすることを

大切にしよう。

誰も歩めない人生に誇りを

 

(今日のコトバ)

 

どんなに遅くてもいい。

どんなに離れてもいい。

どんなにかっこワルくてもいい。

目的地にたどり着いた人は

人生を誇っていい。

 

 

人生はゴールのないマラソン。

そう例える人がいる。

その考え方が

正しいか正しくないかは

さておき、

長い距離を歩き続けることは

間違いないだろう。

その中で、人生の課題を

簡単にクリアできるものと

そうでないものがある。

ただ、人生を今日まで

生きてきたということは、

なんとか

乗り越えてきたといっていい。

クリアというほど

かっこ良いものでは

ないかもしれないが、

ギリギリでも乗り越えてきた。

だとすれば、

すべての人生の課題において、

解決できてきたといっていい。

ここまで生きてきただけでも

大変な結果なのだ。

今日を生きる人は、

ここまで生きてきたという

誇りを持っていい。

誰も同じ道を歩めない人生。

その険しい道のりを

歩いてきた自分に拍手。

それぐらい自分をほめて

いいのではないだろうか。