心をカタチにできる奇跡

 

(今日のコトバ)

 

涙は、

心をカタチにできる

たった一つの奇跡。

 

 

 

心はカタチにできない。

いくら言葉にしても、

心と完全に一致するかというと

そうとは限らない。

笑いながら怒る人もいれば、

泣きながら笑う人もいる。

言い訳している人は、

本音を隠してる。

嘘をついている人は、

心と言動を一致させていない。

ただ、涙は限りなく

心のままのような気がする。

悲しくて涙がでる。

嬉しくて涙がでる。

その二つの気持ちの前に心がある。

そして、涙はカタチになる。

心をカタチにできるものなど

他にはない。

そう思うと、

涙があふれることは、

人間にとって奇跡の瞬間なのだ。

だからこそ、

涙があふれる瞬間を

大切にしたいし、

むやみに涙を我慢することは

ないと思うのだ。

プラスの力は自力で

 

(今日のコトバ)

 

神様は膨大な案件を

かかえている。

すぐれた夢でなければ、

人間に手を貸してはくれない。

 

 

 

〇〇の神頼みという。

プラスの力を必要としていて、

神様に頼んでみる。

本当に力を貸してくれるとは

思っていないが、

神様にも力を貸して欲しいと

思うぐらい力を

必要としている時がある。

その時、何の努力もせず、

ただただ神頼みだけでは

結果は目に見えている。

神様にお願いするぐらいなら、

自分の努力を積み上げるなければ

いけない。

「ここまで頑張ったのだから、

お力をお貸しください」と

いえるぐらい頑張る。

そうでなければ、

プラスの力など働かない。

本来、プラスの力など

働かないものだが、

努力して勢いがついてくると、

プラスの力が働いた気がする。

それは、神様や天からの贈り物ではなく、

自分が導き出した力。

自力が勢いによって発揮された

タイミングなのだ。

だからこそ、

自力をつけるための努力を

忘れてはいけない。

生きる自力を強くしていこう。

 

 

 

今を解決して生きていこう

 

(今日のコトバ)

 

未来の表の顔は、期待。

未来の裏の顔は、不安。

期待も、不安も、同じ未来なんだ。

 

 

 

これから先のことを考えると、

期待と不安の二つの気持ちに

収束されていく。

たとえば、WBCの先発大谷翔平には、

いちファンとしては期待しかない。

だが、その試合に挑む選手は、

期待もあれば

不安も大きいものだと思う。

特出したアスリート軍団だから、

メンタルも強い人が多いはずだが

国の威信を懸けた戦いは、

ポジティブばかりでは

いられないはずだ。

ましてや、僕らのような普通の人間が

生きてく上で、

期待だけでなく不安もたくさんある。

ただ、こうは考えられないだろうか。

期待も、不安も、未来のことであると。

少なくても今ではない。

だから、考えすぎても

あまり意味がない。

未来は今になってから

考えればいい。

未来は、今、解決はできない。

ここで解決できないものに

時間を割くなら、

今できることをやる。

それぐらいシンプルに生きて

いいと思う。

 

 

解決策は行動にある

 

(今日のコトバ)

 

進むか、

さもなければ、

逃げる。

止まっていては

的になるばかりだ。

 

 

ここから少しでも行動する。

止まっていては何も解決しない。

生きれば生きるほど、

行動することが

最善の解決だということを知る。

「行動する」

ただ行動するだけでもいい。

目的をもって行動できれば

もっといい。

とにかく行動することが、

すべての解決策につながる。

頭で考えてばかりいたり、

立ち止まって落ち込んでいても。

解決できない

だが、行動すると解決できる。

正確にいうと、

行動すると解決策が

わかってくるとでもいおうか。

行動とは進むばかりでなく、

逃げることも、横へズレることも、

隠れることも、去ることも、

一歩踏み出せばすべて行動。

一歩踏み出すということは、

前へ踏み出すということ。

それらすべてが行動につながる。

「人生の解決策は行動にある」

そのことを忘れてはいけない。

友だちこそ依存し過ぎない

 

(今日のコトバ)

 

友だちとは、

軽すぎず、重すぎず、

ただそこにいるだけで、

ありがたいと思うもの。

 

 

友だちに何を求めるか。

親友と呼びたいほど

深い仲になって

付き合いが長くなって、

心を許せる安心感は

計り知れないものがある。

その人間関係は

大事にしたいものだ。

ただ、まわりを見渡すと

こんなこともある。

あまりにも友だちとして

深い関係になったが故に、

「こんなヤツだとは思わなかった」

「こんな酷い目にあうとは

思わなかった」などという

言葉を聞く時がある。

深くなり過ぎたから、

「もっとこうして欲しい」

「もっとこうするべきだ」と

勝手に思ってしまう。

付き合い方の加減が

わからないから、

もしかすると正しいかもしれないが、

本来は、所詮他人。

相手がどう対応してくれるかなど、

期待し過ぎてはいけない。

普通の対応をしてくれれば

良しとするしかない。

そのことを、友だちとか、

親友という言葉で

定義づけると忘れてしまう。

自分以外の他人は、

いくら友だちでも、

いくら親友でも、

別人格の他人。

普通の関係が成立していればいい。

もう少し丁寧にいうと、

普通の関係が成立して、

自分のことを

良く知ってくれている人と

考えればいい。

友だちや親友という言葉に

あまりにも依存すると、

人生のどこかで

関係が崩壊することもある。

そのことを忘れてはいけない。

悔いのないように全力を

 

(今日のコトバ)

 

一位と二位の悔しさの差は、

一位と最下位の悔しさの差より

大きい。

 

 

努力に努力を積んで、

勝負に挑んどんだ。

努力はしたものの

結果は目指した一番ではなく

二番だった。

その悔しさは

計り知れないものがある。

あと一歩で勝てたのではないか。

違う手があったのではないか。

自分の方が努力したはず、、。

一番になった人と

最下位の人より悔しさは募る。

人生で一番悔しい

結果かもしれない。

だとしたら、

そうならなように努力する。

二番にならないと

言葉では約束できても

やるのは難しい。

ただ、やることは一つ。

全力を尽くして

切磋琢磨することを繰り返す。

それこそ悔いのないように

頑張る。

しんどいかもしれない。

辛いかもしれない。

だが、

その後の悔しさを考えたら

頑張れる。

「もしかして

一番になれるはずだった」を

「一番になった」に

変える生き方。

意識していい生き方だと思う。

 

 

 

 

どんな力の先にも想像力

 

(今日のコトバ)

 

想像力と格闘してきたから、

限界を倒す力を身に着けたのだ。

 

 

進歩していく。

人間として、

社会人として、

仕事人として、

進歩していく。

その根幹にあるのは、

想像力でないかと思う。

それ以外の力も必要だが、

どんな力にも付随している

想像力が人を進化させてきた。

身近なところでいうと、

コロナ対策。

政治や専門家は、

まだワクチンで抑え込めると

いっている。

だが、一般人はワクチンだけでは

どうにもならない。

風邪やインフルエンザと変わらないと

感染した人は思ったりもしている。

ワクチンを打たなければ、

もっと感染は

防げたかもしれないという人もいる。

少なくても、

専門家が感染爆発といっても、

「そんなことはないだろう」と

一般人は想像している。

昨年までマスクによって、

インフルエンザを

防げたといった専門家が、

「今年は免疫が弱くなったから

感染が拡大する」

といっていたが、

コロナ前よりインフルエンザが

感染拡大したとはいえない。

一般人の我々は

みな経験したデータを基に

想像力を働かせていて、

インフルエンザも感染爆発するとは

思えなかった。

だからこそ、

どんなことでも想像力を

忘れてはいけないと思う。

人は自分が生ぬるい環境に置かれると、

想像力を忘れてしまう。

何かを考え出したり、

追いつめられたりすると、

無限の想像力を発揮する。

その力があることを

いつも意識して生きる。

人生を豊かにするために

大切なことだと思う。

痛い思いは成長の証

 

(今日のコトバ)

 

ころぶ、つまずく、キズつく。

痛いけど前へ進んでいる。

その痛みを成長の痛みという。

 

 

生きるために前へ進めば、

痛い思いをすることもある。

大人になれば、

経験値があるから

痛い思いの回避の仕方を

覚えている。

それでも、また痛い思いをする。

痛い思いをするたびに、

人はまた成長している。

何かを経験して、

痛い思いをして、

対処の仕方、乗り越え方、

利用の仕方などがわかっていく。

その経験値が

これからの人生に役立っていく。

人は生きていく上で、

どうしても経験しないと

クリアできないものがある。

そのために経験をし、

痛い思いをすることを

総称して成長という。

だから、

人生において痛い思いをしたら、

成長していると思っていい。

そして、得たものが

これからの人生の礎になる。

痛い思いは成長の証なのだ。

慣れることで強くなる

 

(今日のコトバ)

 

汚れてすり切れた靴は、

一生懸命生きたことを

憶えてくれている。

 

 

 

やっぱりいい成果を出すには、

自分が慣れたものがいい。

やり慣れている、

着慣れている、

持ち慣れている、、。

慣れていることが大切。

では、慣れるために何が必要か。

一番に必要なのは

継続すること。

長く続けること。

続けていれば、

ほとんどものは慣れてくる。

自分のやり方にフィットしてくる。

フィットすれば、

機能的に動くようになる。

一番要領の良い状況で行える。

だからこそ、

慣れることが大切。

もし、良い成果を出したいなら、

慣れるまで繰り返し続ける。

そこに成果の大きな芽がある。

意識して生きていくのだ。

 

確率より可能性

 

(今日のコトバ)

 

確率を蹴り飛ばして、

可能性を追いかけていけ。

 

 

 

頭が良くなればなるほど

確率を考え出す。

仕事や人間にもよるが、

確率で話すことが

知性のような顔をする。

上から目線になる人もいる。

反対に、

あまり知的な感じのしない人は、

確率や効率などを考えない。

どちらがいいかワルいかではない。

タイプが二つある気がするのだ。

そして、何かに挑戦する時、

高い壁に挑む時は

どちらのタイプが必要だろう。

もちろん、

二つのタイプが備わっていれば

申し分ない。

ただ、

どちも兼ね備えている人は少ない。

だとしたら、確率で動くのではなく、

自分の可能性に賭けてみる人の方が

想像を超えた結果を出すのではないか。

まわりを見渡しても、

あまりにもデータと理屈で

がんじがらめになっている人は、

目の前にあるチャンスを

逃している。

確率論に頭でっかちにならないで、

可能性を追いかけてみる。

高い壁を突破するには、

そんな意識が必要だ。